横浜物語-6 (夜の横浜港)
横浜物語(悪魔のロマンス)-6
15年前。
間もなく高校3年になろうとしていた優一は、不良グループのリーダーとして有名だったJから呼び止められた。
ジュンという名前らしかったが、何故か本人は周囲にJと呼ばせていた。
「ちょっと話がある。」
それまで話したことは一度もなかった。
(不良の中でも有名なJが僕に声をかけてきた。どういうことだ。)
恐る恐る相手を見た。
背丈は優一と同じくらいだが、いかにも喧嘩なれしたような精悍な風貌だった。
「なんですか。」
「俺と付き合ってくれ。」
優一の鼓動は早まり膝頭が震えた。
「お金は持ってない。」
「勘違いするな。普通の友達同士になろうということだ。」
「どういうつもりなの。こういっちゃ悪いけど、君と僕とじゃ全然違うじゃないか。」
「そりゃ俺は不良で、お前は真面目で勉強が出来る。」
「君が言うほど真面目じゃないかもしれないけど、君と僕では遊び方も普段のスタイルも合わないし、はっきり言って僕は君が怖い。・・・今も膝が震えてる。」
Jが小さく笑った。
「そう言われても仕方ないな。でもとりあえず友達になってくれないか。」
「君の仲間にはなれない。」
「そうじゃない。俺とお前の二人だけの友達としてだ。」
「どうして僕なの。」
優一は、そういいながら、はじめてJを正視した。
いかにも隙のなさそうな厳しい表情だったが、よく見ると顔立ちの整った美男子と言ってよく、優一を見つめる眼差しも柔らかかった。
(どうもカツアゲではなさそうだ。)
膝の震えが収まった。
「僕と付き合いたいと言ってきた女の子はいたけど、男子のそれも君のような怖い人から言われたのは初めてだよ。君はもしかして男子にしか興味がないの。」
「そうじゃない。・・・ただお前がなんとなく気になっていた。」
少しはにかんだような言い方だった。
なんとなしに仄かな優越感を感じたが、そのままじっと相手の顔を見つめていた。
やがて、相手が何か言いだしそうに見えたが、その前に思わず、
「迷惑をかけないって約束してくれるなら、君の言う友達になっても良いよ。」と言ってしまった。
(お前、こんな危ない男に、そんなこと言っていいのか。)
自問したがもう遅い。
「お前のようなまともな奴が友達に欲しかったんだ。月に一度でいいから、コーヒーでも付きあってくれ。」
「その位ならかまわないけど、気まずくなったらその時点で終わりだよ。」
「勿論、それでいい。」
二人は、月末の金曜日の夕方に山下公園前のマクドナルドで待ち合わせ、コーヒーを飲みながら話をするようになった。
最初はギクシャクした取りとめのない話だったが、次第に様々な日々の出来事が語られるようになった。
Jの口数は多くなかった。
「僕は君を何と呼べばいいの。確か、ジュンだったっけ。」
「そう言われるのが嫌でJと呼ばせてきた。」
「どうして?」
「亡くなった母親の名前が純子で俺が純だ。純と呼ばれると俺と母親が一緒に呼び捨てにされているような気持になる。」
「そうだったの。」
「お前は友達だから、本名でも構わない。」
「そういうことだったら僕もJでいくよ。」
「好きにしろ。」
専ら優一が話し、Jはそれに短く相槌を打つことが多かった。
優一は、Jが優一の話をさりげなく受け止めながら的確に応じてくれる繊細な人間だと知った。
(この男の奥はまだ僕には見えない。きっと相手によっては僕に見せない凄い一面を出すんだろう。でも僕の話をちゃんと受け止めて、言葉は短いけどきちんと返してくれる。こんな友達は今までいなかった。)
共通の趣味が釣りだと分かり、二人は時々夜釣りに行った。
本牧の防波堤に渡船で渡り、優一は電気ウキの仕掛けでメバルや鱸を狙い、Jは子蟹を防波堤の際に流し込んで黒鯛を探った。
横浜港の夜は幻想的である。
海から街を見やれば、建物の群れは様々な光を静かに放ち、街の中央には宝石を散りばめたような観覧車が輝き、その隣には鈍い光を放つランドマークタワーがそびえ立つ。
二人は釣りも然りながら、月の瞬きを浴びて金色に揺れる波と時折聞こえる汽笛が醸し出す情感漂う港の夜を味わった。
「僕を産んだとき母が亡くなってしまって僕には母の面影はないんだ。」
「俺に父親はいない。お前とは逆の片親だった。その母は半年前死んだ。」
「どんなお母さんだったの?」
「母親としては俺に随分厳しかった。しかし・・」
「しかし?」
「自由で綺麗な人だった。」
「そう、羨ましいね。」
「・・・」
「一度父に母のことを聞いたことがあるんだ。」
「なんて言った。」
「しばらく黙ったままだった。それから音楽を聴かせてくれた。」
「どんな音楽だ?」
「悪魔のロマンスっていう曲。ピアノとバイオリンの音色がとても綺麗だったけど聴いているうちに泣きそうになった。」
「作曲者は、アルゼンチンのピアソラだ。」
「驚いた。君知ってるの。」
「・・・まあな。」
「僕はそれから父に母のことを尋ねたことはない。父は再婚していないから、その音楽のように美しくて悲しい母との思い出を大事にしていたんだと思ってる。」
「優しい親父だな。」
「うん。」
解説
序盤の主な登場人物は、ナオミ (遺産相続人)、優一(税理士)、J ( 優一の友人)です。
今回は、これまで正体が謎だったJと優一が初めて出会った頃のお話です。
・・・To be continued・・・