横浜物語

横浜物語-15

  1. HOME >
  2. 横浜物語 >

横浜物語-15

横浜物語-15【佐島(横須賀) 横浜物語(悪魔のロマンス)-15

Jの母は、かつてジェーンと呼ばれたフリーのホステスだった。

美貌とウィットに富んだ彼女はいくつかの高級クラブを拠点にしていたが、彼女を店から連れ出して一夜を共にしようとする客は、相応のチャージを店に置くのが習わしとされ、彼女目当てに来店する客も少なからずいたので、出入りした店から粗略にされることはなかった。

村上司朗は、税理士会の会合の後、仲間に連れて行かれた「馬車道」で彼女と遭遇した。仲間が軽口をたたいていた女と眼が合ってしばし、二人とも驚いた表情になり、やがて司朗が何か話しかけようとしたところ、踵を返して居なくなった。

「良い女だろ。本名は知らないがジェーンと言われている。口説いて連れ出すには、店に10万、彼女には20万が相場だそうだ。」
仲間の誰かがそう言うと、別の一人が、
「金があっても気に入らないと袖にされるそうだ。」
と言った。

司朗はうわの空だった。
(安藤だ。間違いない。)

高校の時片思いだった安藤純子だった。綺麗で溌剌としていた彼女は、同窓男子の一番人気で、純司も声をかけたが相手にしてもらえなかった。
(切れ長の眼と巻き舌の声、カールしたショートカットに続く滑らかなうなじ。あの頃の安藤と同じだ。・・・そして俺を覚えていた。)

馬車道に通い出した。
当初、純子の態度は素気無かった。
「私はジェーン。それでよかったら話し相手になってもいいわ。」
バー・シーガーディアン ツー (バー シーガーディアンツー) - ホテルニューグランド/バー [一休.comレストラン]
司朗は純子と言葉を交わすだけで満足だった。
「一緒に外に出ることはないわ。あなたとはここでだけ。」

純子の声や仕草は高校時代と変わらず、店で一緒にいるだけで心地よかった。
「君は、まるでクラウディア・ショーシャだ。」

傍でそう呟いた。
「あら、トーマス・マンが書いた魔の山に出てくるショーシャ夫人のことね。」
「君も読んだの?」

「学生時代からの愛読書よ。ひとりの青年が下界から隔絶されたスイスの山麓で様々な体験をする物語よね。」
「主人公ハンスの心を奪ったショーシャ夫人は、とても魅惑的でしかも肉感的な女性だった。」

「私は、多くの男達と肉感的な夜を過ごしてきたわ。」
「それが気にならないと言ったら嘘になるけど・・・魅惑のショーシャ夫人は、ハンスから永遠に手の届かない存在なんだ。」

「あなた読み違えてる。ハンスはクラウディアと一夜を共にするの。頭が良くて純粋な主人公は思いを遂げるのよ。」
「どうして?一夜を共にしたなんてどこにも書いてなかったけど。」

「彼女は、ハンスの求愛に“さよなら”と言いながらも“私の鉛筆忘れないで返しに来てね。”と言って自分の部屋に誘ってるわ。それから先を想像できないあなたは子供と同じね。」
「・・・」

「はっきり言っておくけど、あなたとは寝ないわ。」
「どうしてそんなことを言う。」

「奥さんがいるとかじゃないの。あなたの脳みそがプラトニックな高校生のままだから。私は客の男達と平気で夜を過ごす女よ。店の外でプラトニックと付き合ってたら身が持たないわ。」

純子を前にしてグラスを傾ける日々が続いた。

あるとき、純子が、
「あの頃私もあなたが気になってたのよ。」
と言った。

「頼んでも君は振り向かなかったじゃないか。」
「本気かどうか分からなかった。」

「みんな君に首ったけだったから、相手にしてもらえないと思ったけど、一度だけ勇気を出して君に告白したんだ。」
「一度声をかけて引っ込むようじゃだめだわ。そのままぐいぐい迫まられてたら、あなたと付き合ってかもしれない。」

「何故僕が気になったの。」
「今でもプラトニックなくらい純真だったから。」

「僕が?」
「ばーか、冗談よ。」
「・・・」

「あなた、野球部のキャプテンに喧嘩売られたでしょう。」
「ささいなことで喧嘩になって、手ひどくやられた。」

「彼と付き合ってたの。誰が私に言い寄っても平気な様子だったけど、あなたの時だけは気にしたみたい。」
「それでやられたのか。」

「多分そうよ。あなたは優等生なんかじゃなくてワルにもなれる男だって言ってたわ。」
「ワルになんかなったことないよ。」

「そういう意味合いじゃない。多分普通の優等生が持っていない性根があるとかそういう感じよ。弱いくせに最後まで降参しないし、力が同じだったら負けたかも知れないって。」
「いずれにしても君たちにもて遊ばれてたわけだ。」

「純粋な気持ちとぶれない強さを持った男性はいつの時代でも魅力的だわ。ただ、あの頃のあなたはそういう自分が分かってなかった。彼の方が大人だったわ。」
「今からあの頃に戻っても同じかな。」

「そうね。高校生の私に戻ったらやっぱり彼を取るわ。あなたはその次よ。」
司朗が苦笑すると、純子も小さく笑った。

店のボーイが、そっと寄って来て小さな紙切れを純子に手渡した。
「プラトニックはおしまいよ。」

純子はそう言うと司朗から離れて出口に向かい、遠くの席にいた男が後に続いた。
(僕のショーシャ夫人は行ってしまった。)

解説
後にJの母となる安藤純子は、優一の父、村上司朗が高校時代に憧れた相手でした。
二人は偶然にもクラブ「馬車道」で出会います。

最初はぎこちなかった二人の会話は、次第にロマンチックな色を帯びるようになります。

・・・To be continued・・・

 

-横浜物語
-

© 2024 令和の風 @auspicious777 Powered by AFFINGER5