横浜物語

横浜物語-12

  1. HOME >
  2. 横浜物語 >

横浜物語-12

横浜物語-12【山下公園と氷川丸
横浜物語(悪魔のロマンス)-12
ナオミの相続税の申告も終わり、納税も無事済んだ。不足した資金は銀行から借りたものの、相続税が大変だと理解した旅行会社の経営陣から、可能な限り前倒しして株を買い取るとの申し入れがあり返済の目途もたった。

一周忌を終えて年を越すとナオミの生活も落ち着いてきた。天気が良いとタクシーで山下公園まで降りて行き、界隈を散策するようになった。

春の朝陽を浴びて咲き誇る色鮮やかなチューリップ、朝露を浴びた初夏の薔薇、哀愁漂う黄金色のいちょう並木、冬の星空のもとベンチで暖め合う恋人達・・・そこには夫と過ごした大切な思い出が幾つもあった。

そして稀にではあったが、今は亡き身内とひと時を過ごす場所でもあった。散歩の後、かつて馴染だったニューグランドのカフェに寄った。そのカフェは、ナオミが行くといつも薫り高い紅茶を注いでくれた。

ナオミの視線のすぐ先に、背を向けて座っている優一とJの姿があった。ナオミは二人を見ても気にする様子などなく、カップを目の前にして座ったままだった。

観光客で賑わう5月の中華街で、優一は早めのランチを食べていた。内ポケットのスマホが震えた。
ナオミからだった。

「税務署の方が見えてるの。」
「どうして。僕に連絡がなかったけど。」
「電話代わるって言ってます。」

声が変わった。
「突然ですみませんが、村上先生ですか。」
「そうですが、いったいどうしたんですか。私に無断で調査に来るなんて。」

「無予告で調査に入った事情については、こちらに来ていただければ説明します。」
「すぐ行きます。相手は税の知識のない年輩の方です。私が行くまで無理な調査はしないでください。深田さんに代わっていただけますか。」

「優一さん・・・」
「すぐまいります。何も心配しないでください。」

優一が山手の居宅に着くと、長身の調査官が応接で書類を広げていた。
「関与税理士の村上です。予告なくやってきた理由を説明してもらえますか。」
「調査官の深田です。申告が正しくないと疑うに足る理由があるからです。」

「ほう、相続人の深田さんと同姓ですか。ところで、よほどのことがない限り税理士への事前通知が義務とされているはずです。深田さんの相続税の申告のどこに問題があるというのですか。」
「それはこれからお話します。ところで先生、あなたには思い当たることはないですか。」

「何を言うんだ。私の質問に答えなさい。私は無予告で来た理由を関与税理士として尋ねているんだ。」
優一はそう言ったが、相手は優一を真っ直ぐ見据えて言い返した。
「先生、私は思い当たることはないかと聞いているんです。いかがですか。」

「そんなものあるわけ無いだろう。正しい申告だ。」
「それでは申し上げますが、深田達也さんが亡くなられた当時のミラノ旅行社の株主名簿では持分の34パーセントが達也さんの名義でしたが、申告した財産には29パーセントの持分しかありませんでした。通常ではあり得ないことですので黙って臨場させていただきました。」

税務署の狙いが、申告時に工作した5パーセントの持分だと聞かされて優一は内心動揺した。
「それがどうした。株式譲渡が行われても会社への報告が事後になる場合もあるだろう。」
「そうかも知れません。ところで実際の株式売買はいつ行われたのですか。」

「一昨年の11月だ。契約書がある。」
「契約書は先ほど見ています。私の質問は実際の譲渡はいつ行われたのかということです。というよりも株式売買は本当にあったのか知りたいのですが。」

「失礼な。契約書を見ているのなら、亡くなられた達也さんと僕の取引だということは知っているだろう。あなたは税理士である僕が正しくない取引をしたとでもいうのか。」
「私は、事実を確認したいだけです。」

調査官は、手元にあった契約書を指差して、
「この契約書は、いつどなたが作成したのですか。」
と尋ねた。

「私が事務所で作成した。」
「深田さんの相続税を担当した事務員さんはいないのですか。」

「身内同然の方々の申告なので事務員には任せていない。」
「あなたのパソコンで作成したのですか。」

「そうだ。」
「そのパソコンを見せてもらってもいいですか。」

「断りたいところだが、私のパソコンを見なければ納得できないというなら構わない。」
優一が取引日を達也の生前時に遡って作成した株式の譲渡契約書は、優一のデスクのパソコンで作成していたが、契約書を印刷後直ちにそのファイルを削除しており見られて困ることはなかった。

「譲渡代金は、達也さんからあなたへの貸付金となっており、現実のお金のやりとりはありませんよね。」
「亡くなった達也さんとナオミさんのご夫妻は、以前は私の隣に住んでおられて、私を子供の頃から可愛がってくれた。その叔父さんが体調を崩した時に、支払いは後々で構わないから、株を譲ると言ってくれたんだ。」

「本当ですか。ミラノ旅行社は非上場ながら含み資産が多い優良会社です。普通に評価すると少なくとも10億円分の株ですよ。」
「そこまで言うならきちんと事情を話そう。小父さんが入院してから相談を受けた。万一相続となった場合、ミラノ旅行社株の評価額は相当高額だろうから税金はどの位になるかと心配して聞かれたので、純資産評価の概算で税額は20億位になると答えた。そうすると小父さんは、そうなったら手持ちの預金では払えないから株を売るしかないが、同業者に株は渡したくないとおっしゃった。そこで僕は、持分の5パーセントを誰かに譲渡すれば配当還元方式を使えることになり、納税額は5億位に収まると説明した。そうしたらなんと小父さんは、僕に株を持って欲しいと言ってきたんだ。僕にお金がないと言っても聞かず、将来ミラノ旅行社が買い取ってくれた時に返済すればいいとも言ってくれた。」

「あなたと達也さん二人きりのお話ですか。」
「私は子供の頃から小父さんや小母さんには可愛がっていただいた。その小父さんから二人きりの病床で必死にお願いされたので、応じることにしたんだ。分かっていただけますか。」

「そういうことでしたか。・・ところで、この契約書の署名と押印は深田達也さんが自らなさったのですね。」
「勿論そうです。」

「どこで署名しましたか。」
「病室です。」

「いつですか。」
「正確には覚えていないが契約日の11月26日だと思います。」

「分かりました。それではこれから先生のパソコンを見せていただきます。」
調査官は優一にそう言い、ナオミに対しても、
「本日はこれで帰ります。今後何か教えていただきたいことがあれば、改めてご連絡します。ついてはこの株式譲渡の契約書をしばらくお預かりしたいがよろしいですか。」
と了解を求めた 。

ナオミが承諾すると、調査官は、契約書を預る旨の文書を作成してナオミに交付した後、薄い手袋をはめて契約書をファイルに入れ、鞄に仕舞った。

優一は、ナオミに、
「ちゃんと分かっていただきました。全く心配はいりませんから。」
と笑顔で言い残して、調査官とともにタクシーに乗った。

ナオミは硬い表情だったが、二人に「よろしくお願いします。」と言って玄関で見送った。

解説
ナオミの相続税の申告について、税務署の調査が入りました。
担当はナオミと同姓の深田調査官です。
深田調査官は、ナオミの夫の達也から優一への財産の生前譲渡について、本当かどうか疑いを持って調査を進めているようです。

・・・To be continued・・・

 

-横浜物語
-

© 2024 令和の風 @auspicious777 Powered by AFFINGER5