福岡物語-39【中洲(博多区)】
福岡物語(居場所を求めて)-39
床を見ていた岩佐が顔を上げた。
「黒木さんよ。あんた見上げた男だな。傷も十分治らんのに出廷して刺した男を庇うんだからな。」
「弁護士さん、この証人取り下げてくれ。」
「何を言うんですか。」
「こんな奴がいるから、日本が信じられんのや。」
裁判長は、話したいことがあれば証言台の前に来て話すよう指示した。
岩佐は証言台に着くと、まるで法廷の全員に挑むような口ぶりで話し出した。
「俺たちは祖国を追われた在日の倅じゃ。日本で白い眼を向けられて当然だと思っている。さっき、俺に度量があるとか言っていたが、そんなのは仲間内の話で俺は日本や日本人に対して度量があるわけじゃない。金に困ったら平気で泥棒もした。」
「その話と証人とどういう関係があるのですか。」陪席が尋ねた。
「黒木は良い男じゃろう。俺達の仲間だったら一緒に酒を飲んで遊んだかもしらん。しかし、こんな男がおるから俺たちは騙されるんじゃ。はっきり言うが日本の役人は皆敵じゃ。親父やおふくろを苛め、俺達に冷たい目を向けてきた日本の役人じゃからな。そんな役人の中に黒木のような男がいて、俺を庇ってくれて、それで俺らが日本の役人を良い奴だと信じたら後で裏切られてもっとひどい目に会う。日本の役人、まして俺らから金を取ろうとする税金取りは、全部敵のままでいいんじゃ。」
黒木が手を上げ、言いたいことがあると言って発言を求めた。
「この根性なし。腹を据えろ。在日々々って言いわけせんで、自分のやったことに正面から向き合え。今は日本だ在日だ言っても、時間がたてば、みんな溶けて一緒になる。俺らが今住んどるこの九州だって、昔をたどれば、色んなとこから来た人間の集まりぜ。」
黒木の気迫に法廷は静まり、岩佐は、黒木を凝視したままだった。
その日の夕方、記事が流れた。
「国税査察官、在日は根性なしと証言。」
国税局の広報室に問い合わせが相次いだ。黒木を擁護する意見も少なくなかったが、人権団体からの批判が出はじめ、責任者である多田隈は窮地に追い込まれた。
「多田隈さん。俺を首にしてくれ。」
「お前は岩佐に対して本気で向かって行って本音を言った。それがお前の真骨頂だ。証言の本質を捉えんで勝手に書くやつらは気にせんでいい。」
そう言った多田隈は既に辞表を用意していた。
多田隈は、全ての責任は上司の自分にあると宣言して辞職し、黒木は訓告処分で済んだ。
捜査班主催の多田隈の退官式が行われることになった。
黒木が多田隈に尋ねた。
「多田隈さん、奥さんもお呼びして良いですか。」
「構わん。うちの奴にもお前らを見せて、俺がいかに大変だったか教えんといかんからな。」
「違うでしょう。我々がどれだけ苦労したか奥さんに教えてあげます。」
「ところで、日時と場所は任せて戴いて良いですか。」
「当分俺は暇だから日取りはお前らの都合でかまわんが、場所は俺が決めたい。」
「どこですか。」
「次郎丸だ。」
「あんな居酒屋か角打ちか分からんようなとこですか。」
「いや、是非そこでやってくれ。前もって親父に言っておけば貸し切りに出来るだろう。」
「奥さんもお見えになるんですよ。もう少しましな料理屋にします。」
「次郎丸には随分世話になった。何かあると必ず飲んだ店だ。俺の退官式には一番ふさわしい。」
「そこまで言われるなら次郎丸にします。」
当日、黒木が捜査班を代表して、これまで世話になった礼を述べ、これに多田隈が答礼した。
「この次郎丸で女房とともに退官式をしてもらい万感の気持ちだ。皆には仕事で随分苦労をかけたが、俺に付いて来てくれて感謝している。今後は黒木を中心に頑張って欲しい。まぁ、ここまではありきたりだが本音を言う。」
「また小言ですか。」
松尾がそう言うと、
「お前にも随分世話になった。もう小言は言えん。これからはお前や伊保が小言を言う時代だ。」
多田隈はそう言うと続けて、
「いいか、今のお前達は皆立派な査察官だ。厳しく育てたかいがあった。しかし捜査班はチームの戦いだ。チームの強さは個人個人の強さを足したものじゃない。例え一見弱そうな奴でも多少変わった奴でも、そいつが仲間だったらチームに引き入れて一緒に戦わんといかん。それが出来ん組織は駄目だ。」
と言った。
場が静かになった。
「最後だから、はっきり言ってやろう。みんな小百合をもっと大事にしろ。小百合は査察が好きなんだ。そういう奴は本物の仲間だ。」
小百合は懐妊しており、現在定刻勤務でやがて産休取得となるところ、仕事の切れ目がなく遅くまで残業する職員の中には定時で帰宅する小百合に厳しくあたる者もいた。
「黒木にも言っとく。小百合に限らず今後色々な人間が捜査班のメンバーになるだろう。もしかすると外国育ちも捜査班に加わるかもしれん。そういうチームを一つにまとめて仕事をするのがお前の役目だ。これがお前への花向けだ。」
花束を渡す役の小百合が顔を押さえたまま店から飛び出し、日頃から小百合を可愛がっている松尾が追いかけて行った。
伊保が雰囲気を和らげた。
「仕方ないですね。多田隈さんが悪いんですよ。花束は私が贈呈します。」
「お前がか。」
多田隈が拍子抜けした顔をした。
「そうです。多田隈さんのおかげでいつも損な役ばかりでした。」
伊保が花束を持って夫妻の前に行った。
多田隈が受け取ろうとすると、
「私は小百合じゃないですから、多田隈さんには渡しません。奥様にお渡しします。」
花束を渡しながら、伊保が言った。
「奥様、これまで本当に有難うございました。これまで我々が奥様からご主人を取り上げていましたが、これからは水入らずでゆっくりされてください。」
「そう言われてもねぇ。この人家にいたらうるさいのよ。伊保さん時々引き取ってくださらない。」
多田隈が苦い顔をした。
「面倒だ。四の五の言わんで飲むぞ。」
松尾と一緒に戻ってきた小百合が多田隈に注いだ。
判決が出た。
「本件は、平成一八年一〇月三日東シナ海上で行方不明となり以後所在不詳の高山龍雄、被告人岩佐真司及び被告人丸田忠彦の三名が共謀して、不正に消費税及び地方消費税の還付を受けることを企て、国内で仕入れた金のインゴットを、実際には下関港埠頭他において密売していたにもかかわらず、少額の金製品を観光客に対する土産品として免税店で販売していたかのように偽り、所謂輸出免税制度を悪用し、不正に還付を受けたという事案である。
消費税の不正受還付犯は、積極的に国家から金員を騙し取る犯罪であり、通常のほ脱犯に比してその罪質は一層悪質と言えるが、本件犯行により還付された金額は一二億五千万円と巨額であり、被告人岩佐には窃盗、被告人丸田には業務上横領の前科があるところ、被告人岩佐らが、国税局の捜査終盤以降、犯行を悔いて事実を供述したこと、高山龍雄が不正に還付を受けた金員のうち一一億七千万円を国庫に返還したこと等を考慮にいれたとしても両名の実刑は免れ得ない。」
岩佐は、殺人未遂罪との併合により懲役9年、丸田は3年の実刑となった。
解説
黒木の証言は人権団体からの批判を呼び、上司の多田隈がその責任を取って辞職します。裁判は終了し、岩佐と丸田はそれぞれ懲役9年と3年の実刑となります。
・・・To be continued・・・