横浜物語-30【大桟橋に停泊する客船 横浜市中区】
横浜物語(悪魔のロマンス)-30
優一がJに案内された場所は、馬車道の最上階にある小さな部屋だった。
部屋に入ると、なんとナオミが居た。
「何故小母さんがここにいるの? 小母さんまさか・・・?」
「勘違いするな。お前の母親はここにいる。」
Jが見せたのは、部屋の隅にある仏壇に置かれた小さな骨壺だった。
「優一君、あなたのお母さんは私の妹で純子っていうの。安藤純子よ。」
「じゅんこ?」
「そしてあなた達は双子の兄弟なの。」
「まさか・・・全然似てないじゃない。」
「二卵性なの。妹の激しい気性はこっちの恐い子が全部取ったみたいだし、優しいところはあなたよ。生き様が違えば見た目は随分変わってくるものよ。」
「どうして黙ってたの?」
「純子がそうしろって言ったから。そしてあなたのお父さんもそれを受け入れたわ。」ナオミはそう言ってJを見た。
Jは、母から聞かされた司朗との出会や出産について語った。
「どうして純子さんと父は一緒にならなかったんだろう。父は再婚せずにずっと一人だったのに。」
「二人の間でどんな話をしたかは分からない。結果的に母が俺を引取り、お前は税理士の息子になった。」
「多分妹の我儘よ。子供が欲しかったけど二人は育てられなかった。」
「じゃあ、僕は母に捨てられたの?」
「違うわ。純子は司朗さんが好きだった。でも妹は夫婦で一緒に暮らすような女じゃなかったの。あなたの方が大人しそうだったから男手一つの司朗さんに託したんだと思う。上手には言えないけど・・一緒には暮らさなかったけれど好き合ってるどうしの二人が、それぞれに子供を育てる関係に、二人ともどこかで満足していたのかもしれない。」
「君は僕と双子だって知ってたの?」
「母が亡くなる直前までは知らなかった。」
「お母さんに教えてもらったの?」
「言われてない。しかし気付いた。」
「何故?」
「母から亡くなる真際にお前を支えて守れと言われた。立派な父親がいるお前を支える必要があるのかと聞いたら、お前を授けてくれた人の子供だから頼むと言われた。」
「それで?」
「その時の母の表情は真剣で、明らかに目の前にいる俺よりもお前の行末を心配していた。それで気付いた。」
「どうしてそう言ったんだろう。君の方が楽じゃなかったはずだ。」
「純子は言ってたわ。多少不自由させても自分の全てを目一杯与えた子は心配ないって。優一君にはやはり負い目があったと思うの。多分どこかでずっとあなたを見ていたはずよ。」
「お前も優一君に本当の名前を言わなきゃならないわね。」
「J、いや純じゃなかったの。」
「この子の本当の名前は純司。純と司よ。」
「父の名前は司朗だ。純子さんは君に自分と父の名前を付けたのか。」
「あなた達は紛れもなく双子の兄弟よ。そして妹を通じてだけど私とも血は繋がっているわ。」
「そうだったのか。僕は何も知らずに生きてきた。」
「優一君、辛いでしょうけど現実を受け入れるのよ。そしたら再出発できるわ。」
「僕は自分の欲から小母さんに迷惑をかけて、そのあげく自分が助かりたいばかりに小母さんを裏切った男だ。きちんとした父親に育てられたのに、どうしてこうなるのか自分でも分らない。」
「欲望は人間の本能よ。悪いことなんかじゃないわ。ただあなたは奥手だったの。」
「奥手?」
「そう。これまでのあなたは司朗さんが敷いたレールを素直に辿ってきた。でもこの頃になってそれだけじゃ満足できないという気持ちが湧いたんでしょう?」
「そうです。」
「あなたは本能に従って行動しようとしたの。私に脱税のプランを話したときのあなたは、それまでの従順な優一君から勝負する男の表情に変わっていた。脱税は悪いことだけど、私は進んであなたに応じることにしたの。」
「脱税だと分かっていてどうして応じてくれたのですか?」
「あなたも純子の子でしょう。私はあのとき、あなたに残された妹の魂が現われてあなたを飛び立たせようとしているのだと感じた。だから、あなたを応援してあなたがこれからどう育ってゆくか見ようと思ったの。」
「そうだったんですか。」
「でもあなたは窮地になったらそれを撥ね退ける努力をするとか、それで駄目なら結果をいさぎよく受け入れるとか、そういう覚悟を持つまでには育ってなかった。」
「そのとおりです。」
「だから今は結果を受け入れて責任を取るのよ。そうしたらまたスタートできるわ。」
「・・・」
「何も心配しなくても良いわ。私も一緒に刑を受けるんだから。」
「小母さん、どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「私は純子の姉よ。純子が生前あなたにしてあげられなかった分を私が少しだけしても構わないでしょう。」
「・・・J、いや純司は何故強くなったの?」
「純子は家庭に収まった私と違って自由奔放に生きたわ。人に頼ろうとしない分気位も高くて、子どもと二人きりで生きながら自分のやり方を貫く生き方を通した。そういう彼女の生き方は私にも誰にも真似できない。妹の雌豹のような気性と張り詰めた感性を毎日受け止めていたら当然抜け目のない強い子になっていくわ。
一方あなたには優しい司朗さんという父親がいた。でも父親は母親と違って向き出しの愛情を子供に与えるのは苦手なの。あなたは司朗さんに優しく見守られながら素直に育った。
だけどあなたにも純子の血が入っているでしょう。あなたも純子みたいに自分を存分に出して生きたくなったの。もしかしたら一見平穏に暮らした司朗さんにもそういう面があったかも知れない。だってあの純子が好きになった人ですもの。あの穏やかな風貌とは別に男らしい逞しさも持ち合わせていたと思うの。」
「あの父が?」
「きっとそうよ。でもあなたはこれまでそんな生き方をしてきてない。だから衝動が起きて勝負に行ったけどそこまでだったの。その先のことは思い浮かばなかった。」
「その先って?」
「勝負には必ず勝者と敗者がいるでしょう。あなたは負けを考えなかったし、負けた場合にどうするか考えていなかった。」
「僕はただの甘ったれだ。」
「負い目を感じたり、自分を卑下したりできるのはあなたが素直に育ったからよ。悪いことじゃないわ。逆に言えば純子は、たとえ自ら望んでも純司を優しく育てることはできなかった。優しさを出し切って生活するってすごく贅沢なことなの。純子は滅多なことで人に優しさを見せず純司にも厳しくするしかなかった。でも純司はその生活に満足していたはずよ。」
「どうして?」
「生活が厳しくても言葉が乱暴でも、純司は母親の愛を一身に受けていたから。一途でひた向きな愛よ。そういう子供は負けないの。純子は、純司が自分の力で生き抜いていけると確信していた。だから純子は、最後になって純司にあなたのことを託したんだわ。」
「そうだったのか。」
「俺は母を独り占めした。お前は立派な父親と裕福な生活を手に入れて育ったが、あの母親に優るものはない。」
(お母さんじゃないかも知れないけど・・純子さん・・僕も欲しかった。)
優一は控訴を取り下げた。
解説
優一がJを尋ねるとナオミがJと一緒に待っていました。優一はそこで出生の秘密と3人の関係を聞かされ、純子という女性が自分の生母だと知って愕然とします。
・・・To be continued・・・