横浜物語-4(久里浜の瑠璃唐草)
横浜物語(悪魔のロマンス)-4
遺産は、山手の自宅と預貯金、それに夫が創業したミラノ旅行社の株式だった。
自宅の資産評価は約4億円、預金は2億余りだったが、会社の株式は純資産価値で優に80億を超えていた。
「随分高いんです。」
「高いってどれ位なの?」
「ざっと計算して20億円を下回ることはないと思います。」
「そんなに。」
「はい、相続人が妻と子供二人の場合ですと、妻である小母さんの法律上の受け取り分、つまり相続財産の半分の金額には税金がかかりませんが、残りは課税の対象となります。色々と検討して計算してみましたが、小母さん達の税率は最高税率の50パーセントなので、そのくらいの金額になってしまうんです。」
「困ったわ。税金の支払いを株式の現物で出来ないものかしら。」
「検討してみないと分かりませんが、仮に株式で納税出来るとしても、まずご自宅を売却して納税しなければなりません。それで足りない分を現物で納めることになります。」
「夫と過ごしたこの家を売るつもりはないわ。やはり株を売るしかないのね。」
「ミラノ旅行社の株でしたら、喜んで買う旅行会社が出てくるはずです。」
「そう簡単にはいかないのよ。夫の後輩達が折角頑張っているのに、よその会社が主人の株を引き継いでしまったら色々口出しされて困ると思うの。一度経営者の方々とお話をしてみます。」
「こんな時期で申し訳ありませんが、そうしていただきたいと思います。」
「でも、あの人達30パーセント以上の株を直ぐ引き取れないかもねぇ。」
実はナオミは、弔問に見えた経営陣から、他の業者に株式を譲渡しないで欲しいと強く懇願され、手放す必要が生じた場合には必ず自社で購入するとの念書を受け取っていた。
しかしながら、円安基調のあおりを受けて海外旅行者数が減少している時期でもあり、譲渡に際しては長期の分割払いを認めて欲しいとも言われていた。
「申告っていつまでにしなきゃいけないの?」
「亡くなられてから10ヵ月以内です。」
「じゃあ、まだ時間があるわね。」
「いや、小母さんの場合は相続財産の評価が簡単ではありませんので、今からきちんと準備しないと大変なんです。」
「そうなの。でも全てあなたにお任せしてるから、私はあれこれ悩まなくて済むわ。」
「小母さん達の税金が少なくて済むよう精いっぱい頑張ります。」
「できるだけそうなると助かるけど、無理はしないでね。」
「勿論です。ところで内緒の相談があるんです。」
「内緒の相談?」
「はい。」
優一は、静かに本題を切り出した。
「小父さんが残した持株が、全体の30パーセント未満だったら、納める税金は数億円で済むんです。」
「どういうこと?」
「株の評価は、会社の純資産価格に基づいて計算します。ミラノ旅行社が公表している直近の純資産価格によりますと、34パーセントの株だと、少なくとも80億の財産価値があることになります。でも特別なルールがあって、それを使うと評価額をすごく安くできるんです。」
「特別なルールってどんな?」
「持株が30パーセントに満たない株主の場合は国税庁が認める特例が使えて、純資産価格ではない別の計算で株の評価をすることが出来るのです。この方法で計算すると叔父様が残された株の評価は80億の5分の1、つまり16億位にできます。そうすると納める税金は4億円位で済むんです。」
「そんなことができるの?」
「配当還元方式という評価方法です。株式の所有を通じて会社を支配することはできないような人達からすれば、株の価値はせいぜい配当を期待する程度しかないだろうという考えで評価する方法です。」
「でも夫が残した株は34パーセントでしょう。そんな方法で計算できないじゃない。」
「そこで相談なんです。」
「どういう?」
「叔父さんが亡くなる前に、5パーセントを僕に贈与したことにしてください。そうすると小母さん達の持株は29パーセントになるので特例の計算ができるんです。」
「それっていけないことじゃない。」
「小母さんと僕だけの話で誰にも分かりません。それが出来ないと、税務署は納税を待ってくれないので、株を急いで売らなくちゃいけないんです。」
「売りに出したら、ライバル会社なら飛びつくでしょうけどそんなことは出来ないわ。実はね、夫の経営を引き継いだ方々は直ぐお金を出せそうにないみたいなの。現金で納められない分、株で引き取ってもらえたら良いのにねぇ。」
「小母さん、たとえ税務署に株の現物で納税できたとしても、税務署はその株を公売にかけるんです。そしたら誰が株を手にするか分かったものじゃありません。叔父さんから経営を引き継いだ方々に負担をかけずに少ない税金で済ませるには、僕が言った方法しかないんです。」
「でも、実際には無かったことをあったようにするって悪いことじゃないの。」
「小母さん。過去に遡って譲渡したことにするということだけ考えれば、決して正しいことではありません。でもこうすることにより、小母さんも会社の方々も皆困らなくて済むんです。ですから、大きい目で見れば良いことだと思います。」
「こういうことって、税金のお仕事ではよくあるの。」
「しょっちゅうではありませんが、時々こういう工夫をすることもあります。」
「優一君の言った通りにするとみんなが助かるのは分かったけど、それは脱税にはならないの。」
「小母さん、こういうのは節税っていうんです。脱税は自分の欲望から税金を誤魔化すことですが、今回は小母さんや会社の方々が困らないように、工夫するだけですから。」
(この子、真面目な坊ちゃんとばかり思っていたら、凄いこと持ちかけてきた!)
ナオミに説明する優一は、誠実な面持ちで話し方も丁寧だったが、その表情の奥には話を持ち出しだからには有無を言わせないという執念が感じられた。
「そう・・。」
「黙っていれば誰にも分かりません。」
ナオミは、ゆっくりと息を吸い、そして静かに吐いた。
「・・・良いわ。あなたの言う通りにしてみる。」
「今度書類を作って持ってきますので、小父さんの実印を用意しておいてください。」
「5パーセントの株はあなたの名義にするのよね。」
「そうです。でも実際には小母さんやお嬢さんたちのものなので、私から小母さんにその旨の念書を差し入れます。」
「念書なんてそんなものがあっちゃ、かえって嫌だわ。娘にも相談するけど、あなたがずっと持ったままでいいわ。優一君は、血はつながってないけど夫や私の子供のようなものだから。」
「そんなことをしてはいけません。小母さんや小父さんと僕のお付き合いとお金のことは別の問題です。それとこれは僕と小母さん限りの話にしてください。誰かにお話して万一よそに漏れてしまうと僕も困りますので、誰にも絶対にお話しないでください。」
「分かったわ。株は優一君、あなたにあげる。私の一存よ。申告の手続きは全部まかせるからよろしくね。」
「小母さん。お気持ちは有り難く受け止めますが、そんな財産、私には使いようがありません。いずれ経営者の方々に引き取っていただき、その時の代金は小母さんかお嬢さん達に受け取っていただきます。」
(この子、まだ子供だと思っていたら、いつの間にか男の表情になってる。)
ナオミの目が潤んで赤くなった。
解説
・優一はナオミに対し、相続した株式の保有割合を過去に遡って変える方法で税金を少なくできると提案しました。
・何故かナオミは、優一の提案をいとも簡単に受け入れてしまいます。
・優一が提案した際にナオミは目を潤ませますが、このナオミの態度は物語全体のテーマに関係しています。
序盤の主な登場人物は、ナオミ (遺産相続人)、優一(税理士)、J ( 優一の友人)です。
・・・To be continued・・・