横浜物語

横浜物語-34

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横浜物語-34

横浜物語-34【紅薔薇(山手)

横浜物語(悪魔のロマンス)-最終回
一月たった午後、友紀はナオミの家を尋ねた。
遺骨の脇に優一と純子と司朗の写真が置かれ、白いユリの花がその周りを囲み、ピアソラの音楽が流れていた。

3人が遺影に黙礼した後、ナオミが、
「願わくば神様の庇護のもとで永遠の命を授かってください。」と言った。

その後しばらくして純司が、
「優、今度は3人で幸せに暮らせ。」
とだけ言った。

友紀が、小さく呟いた。
「Romance Del Diablo」

「あなたこの曲知ってるの?」
「ええ。」

「どうして知ったの?」
「母が亡くなった後父が聞いていました。」

「そう・・不思議な縁ね。ここにいる人は、写真の方々も含めて全員ピアソラを聴いたの。」
「そうでしたか。」

「そうだな。ところで伯母さんの旦那や娘は俺達のことを知っていたのか。」
「娘二人は何も知らないわ。主人が知っていたのは私の妹としての純子だけよ。あなたや優一君が兄弟で純子の子供だなんて誰も知らなかった。」

「それじゃあ、俺が身内と呼べるのはやはり伯母さんだけだな。」
「そうね。生きている身内はもう私だけよ。」

港の方を眺めていた純司が言った。
「以前あのベイブリッジの下で優とよく釣りをした。あそこに行ってみたくなった。」
「私は嫌よ。もう夕方だし寒いから。」

「言ってみただけだ。年よりに風邪をひかす気はない。」
「深田さんの代わりに私がご一緒しても良いかしら。」
ナオミに向かって友紀が言った。

「林田さん、この人、この家を出たら怖い男よ。心配じゃないの?」
「遅ればせのお通夜を埠頭でするのも良いと思ったんです。いけないかしら。」

「構わないが、俺がお前を襲ったらどうする。」
「そうなったら必死で身を守るわ。」

「分かったわ。冷えそうだから私の毛皮着て行ってらっしゃい」
二人は、渡船でベイブリッジの下にある防波堤に渡った。

夜の防波堤は冷えていたが風はなく、満月が足元の海を滑らかに照らし、遠くの街並は寒そうに輝いていた。
「素敵な場所ね。」
「波の輝きと汽笛の余韻に浸りながらあいつと釣りをした。しかし岸から近いこんなところでも風が吹くと危険なんだ。天候が悪くなると渡船が来るが、突然の強風から避けようと優と手をつないで腹這いになって船を待ったこともあった。」

「そうでしたの。」
「釣りをしながら話すうちに互いの感性がほとんど同じだと知って驚いた。」

「感性ってどんな?」
「夜の港から味わう情感、あるいは片親に対する受け止め方とか、そういうところはまるで一緒だった。」

「双子ですものね。」
「俺はそう思った。しかし何も知らない優は、ただの友人に過ぎない俺に対して不思議な感覚を持ったと思う。」

「村上さん、せっかく戴いた人生を味わい尽くさないで亡くなったのね。」
「俺のせいだ。」

「どうして?」
「俺は表に生きながら裏のやり方をすれば危ない目に会うと優に言った。しかし、そうしようとするあいつを止めずに手を貸してしまった。」

「どうして手を貸したの?」
「奴が強く望んだからだ。」

「あなたのお母さんってあなたに重しをいっぱい付けて死んでいったのね。」
「何故そんなことを言う?」

「危ういのを分かって止められずに手を貸すだなんて、強面のあなたには相応しくない。そんなことするのは女親だけよ。あなたは母親の代わりもさせられていたのね。」
「なんとでも言え。しかし優は自分が学んだ知識で伯母さんの相続の仕事をした時は、生き生きしていた。あのままうまく行けば良かったんだが。」

「うまくいくはずはないわ。彼自身は出し抜けると思ったかも知れないけど最初からミスしているの。」
「ミス?」

「そうよ。まず最初から深田さんに魂胆を見抜かれているでしょう。それは別としても最大のミスは日付を偽った虚偽の契約書を作ってしまったことよ。」
「最大のミスだと?」

「あの契約書がなくて生前に合意があったと主張されたら相当困難な事案だったわ。」
「・・・」

「脱税を立証するためには、不正の行為があったことを証明しなければならないの。そうでなければただの課税の誤りよ。あの契約書は、筆跡も作成日も偽造しているから、それだけで十分不正の行為が証明できるの。あれがなかったとしたら村上さんは否認するでしょうから深田さんの証言が不可欠となるわ。万一深田さんが黙秘を続けたりすれば、ただの課税事件で終わったかもしれない。」
「・・・」

「彼は株式の評価にだけ着目して画策したけど、事案全体の評価を誤ったの。」
「木を見て森が見えなかったということか。」

「そうよ。」
「しかし、優なりに必死だった。」

「どうして必死だったのでしょう?」
「優の中で眠っていた本能が目覚めたんだろう。俺が聞いたら、湧き起った欲を出してみたくなったと言っていた。」

「確かにそのとおりでしょう。村上さんの亡くなり方で感じたんですけど、村上さんが求めたのは財産じゃなかったのよ。」
「なんだ?」

「お母さんよ。」
「妙なことを言うな。母親が誰かも知らずにそうなるわけないだろう。」

「たとえ、あなたと御両親が一緒だと知らなくても、あなたと一緒に過ごすうちに、彼の本能は求めても得られないお母さんを辿ろうとしたの。そして財産を求めて画策したようで、実は無意識の中でお母さんを巡ってあなたと張り合うために頑張ったんじゃないかしら。」
「想像力の逞しさには敬服するが俺には良く分からない。しかし奴なりに必死に生きたのは事実だ。」

「お母さんのところに行ってしまったものね。」
「そうだ。これから母はあいつのものだ。」

「でも二人のお母さんでしょう。」
「面倒なことが嫌いな女だ。これからは傍にやって来た優一人を可愛がるだろう。」

「村上さんが亡くなって、あなたこれからどうなさるの。」
「稼業は続ける。俺のシマは母と暮らした俺の故郷だからな。」

「私も血が繋がった身内は少ないの。父と母の弟くらい。母は叔父達が起こした事件を償おうとして亡くなったの。でもやがて私はその事件の担当した方々と一緒に仕事をすることになるの。」
「どうしてだ。」

「母がどんな気持ちで担当者の方と対峙していたのか確かめたかった。私の根っこも母親よ。」
「しかし、俺とお前の母親は似てるようで違うようだな。」

「そうね。母の精神は遠い祖先から脈々と受け継いで来たものなの。あなたのお母さんはそうじゃなくて多分もっと自由な方でしょう?」
「母親の先祖は何処だ。」

「遠い海の向こうよ。」
「いつかその話を聞かせてくれ。」

「・・・いいわ。」
「俺の母親の生き方は母自身が勝手に決めたものだ。先祖や周囲とは関係ない。」

「自由な方なのね。羨ましいわ。」
「自由で我儘だった俺の母親とお前の母親とは随分違うようだ。似ているのは強く生きたことくらいだろう。」

「でも、それぞれの母が私達の心を支配したことは事実ね。」
「そうだな。」

風が強くなり、月光を受ける波の先が白く光りだした。
「寒いわ。」
「そう言われても温めてやれない。」

「私が抵抗するから?」
「違う。お前は胸の中の母親と歩いている。・・・母親と一緒に生きている女に手を出すわけにはいかない。」

「・・・」
「俺の方は母親を奴に渡した。」

「それじゃ、一人ぼっち?」
「そうだ。」

「これからのあなたの生きがいは何なの?」
「分からない。お前に手をかけそうな奴がいたら始末すること位かな。」
「そんなことしなくて良いわ。」

やがて港に戻る渡船が現れた。
「素敵なところに連れて行ってくれてありがとう。」
「俺は立ち飲みで熱燗を飲って帰る。無理には誘わない。」

「そうね。少しだけなら飲んでも良いかしら。」
大型船の汽笛が鳴り、重く、長く引っ張るような遠吠えが港に響いた。

 ・・・完・・・

 

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