横浜物語

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横浜物語-27

横浜物語-27【花・花・花
横浜物語(悪魔のロマンス)-27
ナオミと優一の公判は分離され、同じ相続税の脱税事件でありながら、被告人深田ナオミ、つまり脱税の行為者をナオミとして審理する裁判は自認案件として進行した。したがって、新規にナオミに関与することとなった亡夫の友人の弁護人は、検察官が提示した全ての証拠の採否について異論を唱えず受け入れたことから、裁判は速やかに進んだ。

一方、被告人村上優一の裁判は、証拠採否のための整理手続が行われ、そこで、弁護人は、査察官や検察官が作成した供述証拠の採否に関し、全てについて不同意を唱えたことから、検察官・弁護人双方が必要とする証人を裁判所に呼び、尋問が行われることになった。

また、弁護士は懇意の租税法学者に依頼して、一定の持株割合を境に取扱が大きく異なる相続税通達には学術的な合理性が認めがたい旨の論文を執筆させ、さらに自らも『財産評価は刑事事件になじまない』旨の意見書を作成し、これらを証拠として提出した。

裁判は3人の裁判官による合議制だったが、弁護士から提出された論文等についても意見が交わされた。
陪席判事の一人が言った。
「評価は刑事事件に馴染まないとの主張ですね。」
もう一人の陪席がつぶやいた。
「・・・主張として分からなくもない。」

被疑者村上優一の事件の証人としてナオミが呼ばれた。
冒頭、裁判官が、ナオミに宣誓を求めた。
「そこにある書面を読んで、嘘を述べないと宣誓してください。書いてある内容は分りますね。」

ナオミは、書面に目を通した。
「裁判長、確認したいことがあるのですが。」
「なんですか。」

「この書面で偽りを述べない旨を誓いますとありますが、誰に誓うのか教えてください。」
裁判官は、少し驚いた表情を見せた。
「そういうご質問は初めてですが、誰に対して誓うかと敢えて申し上げれば、この法廷の裁判官及び検察官並びに弁護士に対してということになります。」

「私はキリスト者ですので、神様にしか誓いをしたことはありません。私が宣誓できるのは神に対してのみです。」
「分りました。それではあなたが信仰する神様に対する宣誓で結構ですから宣誓文を読み上げてください。ただし宣誓した後で嘘の証言をすると処罰されることがあるので気を付けて証言して下さい。」

「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べない旨を誓います。」
ナオミは宣誓文を読み上げた。

優一の弁護人から次々に質問が出された。
<村上被告人には脱税を主導しなければならない動機がない。一方あなたは納税者として税額は少なければ少ないほど良かったのではないですか。>

<村上被告人は、幼少の頃からあなたと被相続人に可愛がって貰っていた。そのような彼があなたを落としいれるような工作を行うはずがないと考えるが如何ですか。>

<被相続人の死後、あなたから被告人に対し、ミラノ旅行社の株式が贈与され被告人の名義となっている。これはあなたの承諾なしには出来ないことであり、被告人は、恩義ある証人から、そこまでして依頼された以上断ることは出来なかったと述べています。これについてどうお答えになりますか。>

ナオミは次のように述べた。
「優一君は、かつて家族ぐるみで交際していたお隣の家の子供だったこともあり、小さな頃からよく知っています。その優一君が、今何を求めて裁判に向っているか承知しているつもりですので、私としては、ただ今の弁護士さんのお尋ねにお答えするのは大変辛いことです。
しかしながら、先ほど、不躾にも裁判長に『誰に対して宣誓するのですか』と申し上げ、わざわざ『キリスト者として神様に誓います』とお断りをしましたのは、優一君の希望を断ち切ることになる真実を申し上げようとする私の決意でございます。」

傍聴席は、静かに彼女の答弁に聞き入っていた。
証言は続いた。
「夫が亡くなった後、優一君は、食の細くなっていた私を気遣って元町の老舗の店から食パンを買って持ってきてくれ、昼食も共にしてくれました。その優一君から、夫の生前中に株の譲渡をしたことにすれば、税金が安くなるという話を伺いました。税金を納めるためには株を売るしかないけれど、夫が残したミラノ旅行社の社員の方々のためにそうしたくなかった私には真底有り難い提案でした。私はその時、『それって脱税にならないの。』と聞きました。そしたら優一君は『みんなが困らないようにするのだから脱税にはならないです。』と言ってくれました。

正直に申し上げますが、その時私は、優一君の提案が脱税にあたることは十分承知していました。人生の後半こそ、お金に不自由しない社長夫人として暮らしましたが、夫が会社を起こした頃は、私も一緒になって、お給料計算やら経理事務などを手伝っていました。

そのような経験からすれば、いいえ、そんな経験などなくとも、夫の生前時に遡って契約書を作成するということは正しくないことであると百も承知でした。そしてそのような正しくない方法を取ることにより税金が少なくなるのであれば間違いなく脱税になります。」

ナオミの答弁を遮って優一の弁護士が質問した。
「では、あなたは当初から脱税工作にあたると承知して株式取引をさかのぼっておこなうことに同意したのですね。」
「そうです。」
「証人は、どのような行為が脱税にあたるかよく承知していたとのことですが、そういう証人が、真面目で善良な税理士である村上被告人に、税金を少なくするよう強引に求めたのではないですか。」

ここで、検察官が意見を述べた。
「証人が、脱税にあたると認識していたと述べたのは、正直な内心の吐露です。弁護人の質問趣旨は、不正の行為をどちらが主導したかを明らかにしたいということだと思いますが、少なくとも証人が、真摯に事実を供述しようとする態度が伺える以上、答弁を遮らずに証言を聞いてみませんか。」

裁判官も次のように言った。
「被告人がどのように事件にかかわったのかを明らかにする大切な証言と思われるので、証人の答弁が、質問の趣旨からはずれないかぎり、証人の話をきちんと伺いたい。」そして、ナオミに向かい、
「村上被告人の提案する偽装譲渡をあなたが受け入れたとのことですが、どんな気持ちでそうしたのかお訊ねしたい。」
と言った。

「その提案を受けた時、それまで子供にしか見えなかった優一君が、初めてひとりの男性になったと感じました。もちろん私に税金対策を提示するとともにミラノ社の株を手にしたいという優一君の気持ちは見えていました。でも私は嬉しかったんです。従順でか弱くしか見えなかった優一君がこんな強引で凄いことを組み立てて言えるようなったかと思うと嬉しかったんです。」
「嬉しかった?」
裁判官が聞き返した。

「法律や正義に反するようなことを述べて申し訳ありません。しかし私は宣誓している以上事実をありのままに申し上げております。それまでの優一君は、はっきり申し上げて、父親に敷いてもらったレールを辿るだけの可愛いけれども魅力の乏しい青年でした。ところが、何故かそのような彼が、突然、虚偽の生前譲渡を持ち掛けて来たのです。私が『譲渡する株は優一君の名義に変えるのよね?』と尋ねると、彼は『そうしますが実際には小母さん達の株なので念書を入れます。』と言ってくれました。

そのようなやりとりをしながらも、私は、その株式をプラン実行の謝礼として期待する優一君の気持ちも分かっていました。しかし私は、可愛いだけだったこの子がこんな大胆なプランを考え、私を説得して実行しようとしていることに驚くと同時に、彼からこれまで窺えなかった野性的な男性を感じ、従順そのものにしか見えなかった彼が、このプランの実行を皮切りに生々しく自己を発露させていくのだろうと思うと嬉しくなったのです。

私は、一つは持株を売却しなくて済むため、もう一つは彼の自己実現のために手を貸そうと思いました。実際、優一君の提案に乗れば納税額は数分の一で済むのですから、私は『念書なんて要らないわ。株はあなたにあげます。』と伝えました。」

裁判官が言った。
「今のお話からすると、あなたは、村上被告人の提案が脱税にあたると十分承知した上で応じたわけですよね。そうするとあなたは被告人の行為が裁判でどのような評価をされるかに関わらず、相続税の脱税について全責任を負うことになりますが、そのことは分かっていますか?」
「勿論です。私は自分が行った脱税の責任を免れるつもりは毛頭ありません。」

「村上被告人については、あなたの証言も踏まえて脱税の共謀あるいは幇助の有無やそれらの程度を検証していきます。再度伺いますが、被告人の関与の程度に関わらず、あなたは全ての脱税の責任を負うことになる可能性が高いが、それでも被告人からの提案であったと証言されますか?」
「はい。優一君は、自分の思惑はともかくとして、少なくとも私達相続人のために、税理士の職分を超えてまで精一杯考えたプランを出してくれました。私はそのことについては今でも感謝しています。ところがそんな大胆なことを考え実行しても、見込み違いでこのようなことになったら、事実を受け入れ、潔く責任を取るというのが本当の生き方だと思うのです。負けと分かったら、事実を受け入れて責任をとらなければ人生の再出発はできません。

ところが優一君は、大胆なプランを私にあてがったものの、このようになると逃げに入ってしまった。これではいけないと思うのです。私はこの法廷の証言をもって彼に一世一代の教育をする覚悟です。彼に事実を受け入れ、そこから逃げない強さを教えたいのです。」

優一の弁護士が質問した。
「村上被告人は、長らく懇意の間柄だったかも知れませんが、あくまでも他人ですよね。他人が不法な提案することを喜んだり、他人に一世一代の教育をしたいなんて、理解しがたい。所詮証人は自己の責任を被告人に帰せることにより、自身の罪の軽減を図っているのではないですか?」

ナオミが応えた。
「私と優一君とは、直接血は繋がっていません。しかし出産後直ぐ母を亡くしお父さん一人に育てられた優一君を今際の際まで気遣っていた人間がいるんです。その人の思いを私が引き継いでいます。」

「そんな人いるんですか。誰ですか?」
「今この場で申し上げるわけにはいきません。」

「出まかせを言っているのではありませんか。そのような人がいるならきちんと証言してください。」
弁護士が、そう訊ねた時、傍聴席から鋭い声が飛んだ。
「それ以上言わなくていい。」

声の主を見たナオミは、ハッとした表情になった。
裁判官が厳しい声で申し渡した。
「そこの傍聴人の方、今度証言を遮ったら退廷していただきます。」

そしてナオミに向かい、
「少し争点から外れた話になっています。あなたが被告人の提案を受けて何故喜んだのか、その気持ちについて正直に説明してください。」と尋ねた。

「可愛いだけだと思っていた優一君から、初めて大胆な提案を受けたからです。方向は正しくないでしょうが、彼が独り立ちするための一つの過程だと思い彼のプランを受け入れました。」
「荒唐無稽な話ですな。」
弁護士が言った。

 解説
ナオミは、公判廷で、自分の信仰する神様に宣誓した上で、優一からの提案に応じた気持ちを正直に証言します。

・・・To be continued・・・

 

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