福岡物語

福岡物語-52

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福岡物語-52

福岡物語-52【カーネーション】
福岡物語(居場所を求めて)-最終回
夜半、友紀が黒木に小さな声で言った。
「私は多田隈さんとは違うの。」
「何がどう違うんだ。」

「今晩は出所祝いと再開のおめでたい夜でしょ。後で話すわ。」
「思ったことはすぐ言わんか。」

「じゃあ言うけど、・・・龍叔父達がここで仕事するのは正直言って無理よ。」
「なんでや。」

「龍叔父も岩佐さんも多田隈さんから、思いもよらん話があって喜んどるけど、やっぱり無理だと思うの。」
「何がどう無理なんか。」
黒木の声が大きくなった。

「龍叔父達は自分の力だけで生きてきたのよ。皆に優しく囲まれて生きるのに慣れてない。きっといつか飛び出すか、そうでなかったら自分たちが壊れてしまうわ。」
「そんなことを言っても皆もう若くないし、一緒に仕事した方が良いに決まっとる。お前も安心だろうが。」

「黒木さんは分かってない。龍叔父は、死んだ親とか姉くらいしか身内がいなくて、生きる場所があるかないかのギリギリのところを走ってきたのよ。周りの社会と折り合える人もいるけど、龍叔父は、最初から最後まで妥協してない。日本人でも何人でもないと思って生きるしかなかった。

その生き方は、平地から遠く離れた山の尾根を歩き続けるようなものよ。尾根から降りるのは自尊心が許さないの。龍叔父は強かったからそれが出来た。そういう生き方しかしてない人間に急にみんなで仲良くやっていこうと誘っても無理なの。無理にそうしたら龍叔父達が持たないわ。」

回りが静かになった。
「友紀ちゃんの話をもう少し聞いてみよう。」
多田隈がそう言った。

「龍叔父達がやってきたことは、日本の社会からすれば、道から外れたことばかりでしょう。でもそれって孤独でしかもすごく力がいるものなの。同じ血が流れてる私には分かるわ。

母や龍叔父が子供の頃は『朝鮮』って言われたけど、私も時々『朝鮮』とか『半チョン』って言われた。そう言われると、『お前は仲間やない。日本から出て行け』と言われてる気がしたの。」

「お前も言われとったんか。」
黒木がそう聞くと、
「そうよ。門司と下関は近いから分かる人には分かるわ。そう言われるとすごい反発心が湧き起こるの。終いには、自分がどうなってしまうか分からないと思う時があった。

私は、父や母が大事に育ててくれたから、今こうして黒木さんの下で働けとるけど、龍叔父達はそうはいかなかった。ずっと周囲の社会と戦ったり、そうでなければ敢えて周りを無視して生きるしかなかったの。

勿論、要領が良かったり、我慢出来たりして周囲の社会と適合できた人達も大勢いる。しかし、龍叔父達はそうしなかったの。というよりも出来なかったの。」

「何故だ。」
「プライドよ。蔑んだり否定してくる相手には、絶対に頭を下げたり妥協したり出来ない。」

「だから孤高の人生になったというのか。」
「そうなの。周りの社会に関わることが出来ずに野生の本能だけで生きようとした結果が脱税事件を起こしてしまい、その挙句に母も亡くなってしまうの。

そういう叔父さん達にこの温泉場で一緒に仕事をしようと言ったら、みんな多田隈さんは良い人やと知っとるし、助けてもらっとるから従うかも知れんけど・・・。」

友紀は嗚咽し、言葉が止まった。
言葉が詰まった友紀に、岩佐が声をかけた。
「こんな話は初めて聞いた。・・・頑張って話を続けてくれ。」

「岩佐さんは人の気持ちが分かる優しい人や。うちは好きだわ。でもそういう岩佐さんも、日本人の社会から離れた孤高の生き方しかしてない。そういう人達が普通の社会の人と急に仲良く仕事を始めたら、それまでの生き方とのバランスが取れなくなって壊れてしまうわ。」
皆友紀の話に聞き入っていた。

「野生動物の生涯は、常に悲劇的な結末を迎える。」
多田隈がポツリと言った。
「シートンの言葉じゃ。友紀ちゃんそうなってもいいんか。」
「それは嫌だわ。」

「じゃあ、どうしたらいい。」
友紀は考える風だったが、
「うちも、どうしていいか分からん。」
と言った。

「そりゃ、困ったな。」
多田隈がそう言うと、
「それでも私は龍叔父達を無理に溶け込ませない方が良いと思ってるの。」

「どうしてだい。」
「以前岩佐さんの裁判で、黒木さんが、『日本だ在日だと言っても、時間がたてば皆一緒になる。』って言ったでしょ。確かにそのとおりだと思うけど、人によっては時間がかかるの。龍叔父はずっと無理かも知れない。だってやられっぱなしだったんだもの。それを打ち返そうとそれだけで必死だったの。孤高で純粋だったの。

母は父と一緒になって孤独じゃなくなったけど、一途な純粋さは龍叔父と同じだった。母は、龍叔父達がしたことを一人で埋め合わせようとしたでしょう。愛する父や私のことを考えると、凄く悩んだと思うけど、最後は自分が責任を取るようにして死んでしまった。母の意志が判った龍叔父は、黙って国税局にお金を持って行った。

でもそうしたら、もう岩佐さん達のところには戻れないでしょう。どこにも行き場がなくなって、結局海に身を投げてしまった。そういう人達なの。だから、今は、精々龍叔父とか岩佐さんや丸田さんだけが一緒になって小さなことでもいいから何か仕事が出来たら良いと思います。うちらは黙って周りから見守るんよ。」

暫く沈黙が続き、やがて多田隈が、
「確かに、友紀ちゃんじゃないと言えんことや。胸に応えたわい。」
と言った。

「しかし友紀ちゃん、孤高や純粋だけやないな。」
「どういうことですか。」

「礼子さんが庸一さんに宛てた遺書を見せて戴いたことがあった。遺書には高山君達の責任を礼子さん自らが取ると書かれていたが、結びの一文を見た瞬間涙が止まらなくなった。」
「なんて書いてあったんですか。」

黒木が聞いた。龍雄達も一様に多田隈の顔を見つめた。
友紀は畳に目を落とした。

「『来世もまた娶って』とあった。男子にとってこれほど切なく、またこれ以上の言葉はない。
現世から旅立とうとする真際にあっても夫を想い続けた礼子さんは、一途の恋に生きたまま亡くなったんだ。」

友紀が顔を上げた。
「母は幸せだったんでしょうか。」
「幸せだったかどうか聞かれても答えようがない。しかし庸一さんと巡り合った礼子さんは、幸せかどうか顧みる間がないくらい、女として必死に生きたんだと思う。」

「女として必死にですか。」
「そう、礼子さんにとっては、庸一さんといる場所が最高の居場所だったんだ。」

「・・・」
「そして最高の母親でもあった。」

「最高の母ですか。」
「今の友紀ちゃんを見れば分かるさ。それに君はお母さんから大切なものを受け継いでいる。」

「大切なもの?」
「生物学的な遺伝子を超えた素晴らしい贈り物さ。」

「贈り物?」
「以前黒木が、礼子さんの印象について、一見大人しそうな主婦だが凛として芯があるという言い方をしたことがあった。俺はその芯のもとはなんだろうかあれからずっと考えていた。」

「芯のもとですか?」
「そう。その芯のもとが、今夜友紀ちゃんの話を聴くうちに分かった。」

「何ですか。教えて下さい。」
「いかなる侵害があっても、決して妥協することなく、自らの生き方を堂々と貫くことが出来る精神力だ。君のお母さんはその力を強く持っておられた。おそらくそれは礼子さんのご両親、さらにはその先祖から脈々と受け継がれてきたものだろう。」

「先祖って済州島ですけど。」
「そうだ。その済州島の風土や遥かな歴史で培われた精神だと思う。俺はあれから済州島について多少学ばせてもらったが、はるか昔の済州島は耽羅という独立した王国で、朝鮮半島とは異なる独自の起源神話を持ち、アジアを広く航海して日本とも交易したという。

耽羅亡き後、済州島は外部から制される苦難の歴史が続くが、そういうなかで、次々とやって来る外からの支配者に対して、表面では穏やかに対処しながらも、理不尽な外圧には決して屈しないという強靭な精神力が培われたのだと思う。」

「外圧に屈しない精神力ですか。」
「そうだ。わしはその精神力の源は、往時の耽羅に行きつくと思っとる。」

「耽羅?」
「そうだ、固有の素晴らしい文化を持った耽羅という国家があったからこそ、その後の困難な歴史のなかで、気高く力強い精神が培われていったのだと思う。」

「そうですか。」
「礼子さんが秘めていたのは古の耽羅から脈々と受け継がれてきた魂だ。」

友紀は眼をつむった。
(耽羅からの魂?・・・お母ちゃん、うちにも流れとるんやろうか?)
ひとしきり皆黙したままだった。

しばらくして、多田隈が、
「しかしながら、高山君達に何か仕事があるかな。当面俺は岩佐君と丸田君の後見人やし、庸一さんと友紀ちゃんは高山君の後見人や。これからの生活は気になるところだ。」
と言うと、それまで黙っていた龍雄が、「岩ちゃん、雄一の船がまだあるらしいから釣り船位なら出来そうじゃ。一緒にやらんか。よければ丸ちゃんも。」と言った。

「四人でか。」
岩佐がそう言うと、丸田は、
「三人です。龍雄さんと、真ちゃんと、雄一さんです。」
と言った。

「忠彦、お前はどうする。」
「俺は海老原を手伝います。それに今度は釣り船屋の申告も見なけりゃならんでしょうが。」

龍雄が多田隈に言った。
「せっかく誘ってもらったところで、我儘言って申し訳ないが、釣り船をやらせてくれ。」

友紀も懇願した。
「お願い、多田隈さん、そうさせてあげて。」
「そうか、じゃあ残った資金は三人の事業資金にするといい。」

「雄一さんの船があるんだから準備費用には半分もかからないわ。残った資金は、杖立の旅館の出資金にしてもらいます。そしたら少なくとも多田隈さんや父としっかりした繋がりもできるし。」
「あれは友紀ちゃんの金じゃ。忠彦も俺もそう思っとる。友紀ちゃんに全部任せる。」

岩佐がそう言った後、黒木が口をはさんだ。
「友紀の話はよう分かった。しかし俺も諦めの悪い筑後の男だ。一つ言わせてせてくれ。溶けて一緒になるのに時間がかかるちゅうんやったら、勿論無理せんで良かろう。ただしせっかくの庸一さんと多田隈さんの提案だ。

友紀の話と折半するような言い方になるが、働く働かんは別にして、ここに居る皆がその旅館の従業員になるっちゅうことではどうかな。それで年何回かはここに集まって飲む・・・。」

「それは有り難いな。」
少し間をおいて龍雄が小さな声で言った。
(龍叔父ありがとう。)
龍雄にとっての精一杯の妥協だと友紀は知っていた。

「本音で人にぶち当たるのは黒木の真骨頂やと思っとったが、友紀ちゃんは黒木以上だな。」
多田隈がそう言うと、
「うちは黒木さんみたいに毎日人を怒らんよ。」
と言って黒木を苦笑させた。

「でも、うちが自分を出し切って仕事が出来るのは黒木さんのおかげよ。あの時父と裁判所に行って岩佐さんを怒鳴りつける黒木さんを見とらんかったら、多分今の仕事はしてなかった。」

黒木はもう何も言えなかった。
「遅くなってしまったが、みんなで礼子さんに献杯せんか。」
多田隈が皆にそう提案した。

盃が満たされた。
「礼子さん、あなたが亡くなって早や八年。色々あったが今日ここに皆が集まることが出来た。龍雄君、岩佐君、丸田君、友紀ちゃん、そして黒木も俺も同じ席に会しとる。きっとあなたがそうしてくれたんやろう。これからも皆の生き様を見守ってください。」

翌朝、龍雄は杖立川の川縁を歩いていた。
(あの時姉ちゃんは、この世でもあの世でも住む場所が亡くなるって言ったけど・・・)
(・・・どうなるか分からんが、とりあえず、このまま生きてみよう。)

空に薄い残月が見え、水面に小魚の群れが煌めいた。
朝日を浴びた対岸の紅葉が眩しかった。

・・・END・・・

 

 

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