福岡物語-4【豊後の山景】
福岡物語(居場所を求めて)-4
夜明ダムから日田の市街地までは僅かである。
日田は、くじゅう連山や英彦山系の山々に囲まれた盆地に位置し、水郷(すいきょう)と呼ばれている。
玖珠川(くすがわ)や大山川などの幾多の支流が出会う筑後川水系の本流を日田では三隈川(みくまがわ)と言い、風情ある川面には幾艘もの屋形船が並び、初夏から中秋にかけては鵜飼が網を操って鮎を漁る。
江戸時代は幕府直轄の天領で木材の集積地として栄え、下流域の筑後地方との交流が密だったことから言葉には筑後弁が混じる。
日田で高速を降りた一行は、想夫恋(そうふれん)という店で昼食を取った。
「珍しい名前ですね。」
伊保がそう言うと、黒木が、
「夫のことを遠く離れていても想う妻の恋心だ。」
と言った。
「黒木さん、案外物知りですね。」
「店の説明書きにそう書いてある。夫を恋しく想う妻のように離れがたくなる想夫恋の味だと。」
「なんだ。そうですか。」
「お前ら何も知らんな。想夫恋の謂れとなった女性は、小督(こごう)という平家物語で描かれた宮中一の美女だ。時の天皇と相思相愛となったが、娘を天皇に嫁がしていた平清盛の逆鱗にふれて都を追われてしまう。」
多田隈がそう言うと、黒木は、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」と平家物語の冒頭の文句を口ずさんだ。
多田隈が意外な面持ちで、「お前も読んどるのか。」と黒木に聞いた。
「多田隈さんが古文の話なんかするから、出だしだけ覚えたのが口をついて出ただけですよ。」
「やはりな。ところでその小督の墓は京都にあるが、福岡にもある。」
「何故ですか。京都の女性でしょう?」
「嘘か本当かは別にして、その女性が人を頼って大宰府に向かう途中で亡くなった。今際を看取った役人が憐れんで田川の寺に立派な塔を立てたという話だ。」
「その寺に行ったことがあるんですか。」
「田川市の成道寺という寺に小督の墓とされる見事な石塔があった。」
「どうしてそんな立派な墓を建てたんでしょうかね。」
「古来よりの日本人の心情だ。強きに反発し儚く哀れな者に情を寄せる。それに九州の男は女に優しかろうが。」
多田隈がそう言うと、黒木は、
「多田隈さんのいつもながらの昔話は聞き飽きていますけど、九州の男は女に優しいというところだけは同感です。」
と言った。
多田隈は学生時代に文学部に籍をおいて日本史を専攻しており、特に古代史や中世史への造詣が深かった。
その後ワゴンは両岸に山が険しく迫る玖珠川の渓谷沿いを進んで行った。
途中、水量豊かな慈恩の滝を眺め、天ヶ瀬の温泉街を通り、長く続く渓谷を抜けると、巨大なテーブルのような姿の切株山(きりかぶやま)が現れた。多田隈達が向かったのは、そこからほど近い宝泉寺という温泉街にある小さな宿だった。
解説
なんだか観光の案内みたいになってしまいました。
九州から離れて随分経ちましたが、九州の山並みと山々から流れでる水面の光景の美しさは、いつまで経っても忘れられません。
想夫恋のお話は、この物語で描きたかったあるテーマの序奏曲でもあります。
序盤の主な登場人物は、多田隈(脱税捜査班のリーダー)、黒木(脱税事件の担当者)、松尾(黒木の後輩)、伊保(黒木と松尾の後輩)です。
・・・To be continued・・・