福岡物語-21【阿蘇山麓】
福岡物語(居場所を求めて)-21
伊東が通った高校は、博多駅から福岡空港に向かう空港通りに面していた。東京の大学を卒業して国税庁に入り、長年霞が関で勤務していたが、父親が亡くなって母親も病気がちになったことから願い出て福岡に戻り、地元の国税局で働いていた。
その夜は母校近くの居酒屋で久方ぶりの同窓会を終え、酔い覚ましを兼ねて空港通りを歩きながら家路に向かっていた。喉が渇いて自販機でウーロン茶を買った際、ふと前を見ると見慣れない免税ショップがあった。
(あれっ、こんなんあったかいな。)
馴染んだ道筋に知らない免税店が出来ていた。
(福岡はアジアの玄関口や。こういうのが段々増えるんやろうな。)
そう思いながら家路についた。
伊東は脱税の内偵班の責任者だった。数か月から場合によっては一年以上をかけて、目星を付けた事業者を調べ、脱税が濃厚だと判断すると、裁判所に赴いて首謀者の居宅や事業所などの捜索令状を請求し、捜査班に引き継ぐのが仕事だった。
翌日、ふと思い立って昨夜目にした免税ショップの申告事積を調べたところ、その店は三和物産という株式会社で、多額の消費税の還付を受けていたが、申告書には税理士法33条の2の書面がついており、関与税理士は海老原一夫となっていた。
伊東は、かつて国税局の調査官として精力的に仕事をし、人付き合いも良かった海老原を覚えていた。
「消費税の還付が生じるのは商売柄当然だろうし、元調査官だった税理士が33条の2を添付するからには問題なかろう。」
と思った。
しばらくして、昼休みに伊東は、部下の近田と空港通りで最近人気のラーメン屋に行った。豚骨から染み出たスープと絡んだ固めの細麺をすすりながら伊東が言った。
「ラーメンちゅうのは凄いな。味が年々進化しよる。」
「スープが美味かですね。あっさりしとるようでコクがある。」
「俺は、南区の老司に昔からあるラーメン屋がシンプルで好きやったが、この頃は新しいラーメン屋でも頑張っていい味出しよる。」
今や、ラーメンはカレーとともに日本の国民食であり、日本全国にラーメン好きは大勢いるが、福岡人のラーメンに対する思い入れは半端ではない。
「近頃、背あぶら入りのラーメンやらあると聞いたが、俺は好かんな。」
「そうですね。豚骨や魚介から取ったスープだけで勝負せんといかんですよね。」
ラーメン屋の窓から道路向うの対角に免税店の看板が見えた。
帰りがけにその前を通ったところ、近田が何気なく
「客も入っとらんようやけど、儲かりよっちゃろか。」
と言ったが、海老原の関与を知っていた伊東は、
「こういう免税店はツアー客専門やけん、空港からどっと団体客が買いに来るんやろう。」
と応えた。
それから3ヶ月が過ぎた。
伊東の内偵班は、捜査着手目前まで漕ぎ着けた不動産業者の事案の仕上げに余念がなかった。捜査初動時に確実に被疑者を捕捉するためには、捜査開始間際まで首謀者や関係人の動向を十分監視する必要がある。
その最中、近田が、
「伊東さん、話があるんやけど。」
と声をかけてきた。
「なんや、このくそ急がしい時に。」
「あの免税店どうもやっとらんぜ。」
「何寝呆けたこと言うとるんか。お前、捜査の車両や宿の手配終わらせとろうな。」
「あの店、客来とらん。店は開いとるが客はおらんのや。」
「なんだと?」
「あの店、本当にヤバイんじゃ。」
「何でそこまで言えるんか。」
「毎日張った。」
「お前、自分の仕事はどうしたんか。」
「どうしてもせんといかんことがあると言うたら、若い奴らが代わってくれた。」
「ばかもん!勝手なことして大事な仕事に穴開けたら許さんぞ。」
伊東はそう言って怒ったものの、近田が、その後ずっと免税店を内偵していたと知って驚いた。
「話を聞こう。」
伊東は、近田と取調用の個室に入った。
「伊東さん、俺は、奴らが免税店で売っておらんのに免税売上だと偽って消費税の還付を受けたと睨んどる。事業開始してからからもう十何億も税金還付しとる。」
「しかし、税理士の書面添付、33の2が付いとったよな。」
「そこだけが腑に落ちん。」
「あの税理士は、うちの職員だった人やし、よもや間違いはないと思うが。」
「しかし、ここ1か月ずっと見とったけど、従業員らしいのが店を開け閉めしとるだけで、客は入っとらんのや。」
「ツアー客やったら、だらだらやってこんだろう。見落としはないんか。」
「勿論、俺一人やから二四時間は見張れん。頼むからちゃんと内偵させてくれ。」
「しゃあない。そこまで言うなら、お前のこれまでの苦労を見極めてやろう。」
「すいません。しかしこの忙しい時に、そう人は出せんでしょう。」
「かまわん。交代要員を付けるから昼夜張り込め。不動産屋の着手が済み次第俺も手伝ってやる。その免税店がどこから何を仕入れて売ってるのか、調べる必要があるな。」
伊東は、三和物産の申告書を確認したが、仕入先の記載がなく、どこからどんな商品を仕入れているのか分からなかった。しかし、近田等に、会社の代表者など関係者の動向を内偵させた結果、次の事実が判明した。
代表者林田礼子は、サラリーマンの夫と高校生の娘を持つ専業主婦であり、会社社長として事業経営を行っている状況は窺えなかった。礼子の自宅に、平日の昼頃、週二~三回の割合で荷物が届いており、ゴミ集積所から出た荷送書から、大阪の貴金属会社からの配達物であることが分かった。
礼子の自宅に届いた荷物は、到着後ほどなくして下関ナンバーの車両に乗った複数の男性が引取りに来ており、車両の所有名義人は下関市で遊漁船業を営む金本雄一だと判明した。また、近田が伊東に報告したとおり、その後の内偵によっても免税店に顧客が入店している事実は認められなかった。
伊東は、大阪の国税局に依頼して、貴金属会社の申告書を確認してもらったが、三和物産の取引については記載がないとのことであった。
(大口の掛取引だったら申告書に売掛金として書いてある。恐らく三和物産は現金で買ってるな。税務調査の記録を見に行くしかない。)
伊東は、貴金属会社を所轄する大阪の税務署に行った。そうしたところ2年前にその会社の調査が行われており、その調査資料のなかに、三和物産に対する売上記録があった。
三和物産への売上は、1キロの金のインゴットだった。
全て現金での売上で、三和物産との取引とともに貴金属会社の売上も急増していた。
(金のインゴットを免税品で売れるわけがない。ちょっとすごいことになるぞ。)
伊東は、三和物産の不正受還付を確信した。
(今、迂闊に接触すると元も子もなくなるだろう。)
何かあればその会社は、三和物産を庇うかもしれなかった。
しばらくして三和物産の消費税の申告書が提出された。
伊東達が内偵した時期だったが、免税店で多額の売上があったとされていた。
取引の実態は皆目分からなかったが、少なくとも免税店で商品を販売している事実はなく、巨額の不正還付が想定されたことから、国税局内で協議を重ねた結果、脱税事件として立件することとなり、多田隈率いる捜査班に引き継ぐことになった。
解説
龍雄達の「仕事」が国税局査察部の内偵班の気付くところになりました。伊東班長達が内偵した事件は、多田隈が率いる捜査班に引き継がれることになります。
・・・To be continued・・・