福岡物語-19【鶴見岳山頂からの遠景】
福岡物語(居場所を求めて)-19
免税店の社長は礼子にした。
丸田が、
「会社の役員は、少し金を払えば、名義を貸してくれる奴が何人もいます。ただし社長だけは、堅気で口が固く信頼できる人に頼みたいのですが。」
と言った。
「そんな奴は、俺や龍ちゃんより、お前の知っとるやつに何人かおるやろ。」
「案外いないんですよ。社長だけは、ただの名義人じゃだめなんです。」
「どうしてだ。仕事の中身を教えるわけじゃあるまい。」
「社長に実際の仕事の話をするわけはないですが、会社の社長ともなれば税務署や市役所などの役所から、いつ何時どんな連絡があるか分かりません。どんなときでも我々の窓口として落ち着いて対応してくれそうな人でなければ困るんです。」
「そうか。確かに俺の知り合いにそういう奴はおらんな。」
「それだけじゃないです。1年2年と時間が経つうちに、我々がやってることを感ずくかもしれんし、税務署の調査が絶対無いとも言い切れません。最悪の場合マルサが来ることだってあるかもしれない。そういう時に、余計なことを何も言わず、じっと黙っていてくれる人じゃないといけないんです。」
「そりゃ、猶更難しいな。」
「どうしても居なければ次善の策を考えますが、龍雄さん、誰か心当たりはないですか。」
「そうじゃのう。」
しばらく考えていた龍雄は、礼子に電話してみた。
礼子は、意外にも明るい声で、
「なんも難しいことはできんけど、私でよかったら良いよ。」
と応じてくれた。
龍雄は礼子が応じたことを話した。
「俺のほんとの身内は堅気の姉ちゃんだけだ。この先どんなイザコザがあっても、絶対巻き込むつもりはないけん、それでよかったら姉に頼むがいいか。」
二人は喜んで賛成した。
「龍ちゃんの姉さんがなってくれるなら安心じゃ。万一の時は命がけで姉さんを守る。」
岩佐はそう言い、丸田も、
「お姉さんが困ることのないよう、私も十分気を付けます。」
と言った。
龍雄達は、摘発に備えて元金を分割し、数千万単位での取引を開始した。
龍雄が、かつて買付をした大阪の貴金属会社は、登記された会社名義による多額の現金取引に積極的に応じた。金の現物は、貴重品専用の貨物輸送で登記上の代表者である礼子の居宅に平日の昼間に配送させ、すぐさま龍雄や岩佐が引き取って雄一の船に持ち込んだ。
丸田の役目は見張りだった。
取引の際は、必ず事前にその近辺を見回り、税関や麻薬取締官らが潜んでいないか確認した。引き渡しの場所は、下関や門司の港内が多かったが、不穏な気配を感じた時は港外でも行った。
毎日でも取引をしたかったが、時々休んだ方が良いとの崔のアドバイスを受け入れ、用心を重ねて取引を行った。1月に7億の取引を目指し、時化で仕事にならないこともあったが、月に概ね6億以上の取引が出来た。
5ヶ月経った。
三和物産は消費税の申告の計算期間を法律で許される最短の3ヶ月としており、期間の末日から2ヶ月後の申告期限が間近に迫っていた。丸田が作成した消費税の申告書の原案では3ヶ月の取引高が約20億円であり、その5パーセントの約1億円が国から還付されることになっていた。
丸田は、その原案を携えて海老原という税理士の事務所に行った。海老原は、丸田から受け取った原案を検算し、自ら作成した税理士法33条の2の書面を添付して、税務署提出用の申告書を作成した。
海老原は、かつて丸田と共に地元の大学の会計学研究会というゼミに所属し、勉学に励んだ仲だった。議論を交わし時々酒も飲んだが、父親が税理士だった海老原はいつも金回りが良く、
「どうせ親父の金だし俺が出す。」
と言って支払ってくれた。
卒業後、丸田は市役所に就職し、海老原は国税局に入った。海老原は国税局の調査官として実力を発揮し、昇進ラインにも乗っていたが、父親が急逝したことから退職して後を継いだのだった。
出所した丸田が訪問した際も快く自分の部屋に通してくれた。
「お前、これからどうするんだ。」
「まぁ、ぼちぼちなんとかするさ。」
入れてくれたコーヒーを飲みながら、丸田が切り出した。
「ところで、設立したばかりの会社があるんだが、面倒みてくれんか。」
「どんな会社だ。」
「旅行客相手の免税店なんだ。売上は免税だから、国内仕入で払った消費税については還付してもらう必要がある。」
「事業規模はどのくらいかな。」
「免税店は福岡空港近くの1カ所だけだが、課税期間3か月で20億以上は売る。」
「その売上に対応する仕入れの5パーセントとしたら還付金は約1億か。太い還付だな。」
税務調査の経験が豊富な海老原は、多額な還付金が生じると知り疑念を持った。
「そんな金額、ひとつの免税店で販売できるんか。」
「韓国からのツアー客に売れとる。」
「まともな会社だろうな。」
「大丈夫だ。販売伝票をきっちり保存させとる。」
「それは当然だろう。販売伝票がなかったら免税の申告は出来ん。」
「パスポート番号と照合されても一致する正真正銘の伝票じゃ。」
丸田がそう答えると、海老原は、
「お前、隠しとることがあるんじゃないか。」
と尋ねた。
「聞きたいか。」
「・・・どんな話か知らんが、聞いてしまったら、お前の頼みでも断ることになるかもしれんぞ。」
「申告一回につき100万出す。33条の2を付けて欲しい。」
北九州の基盤は鉄鋼産業である。筑豊炭田を背景に、戦前から石炭を高炉で燃やして鉄をつくる町として有名だったが、龍雄が生まれた1970年には、八幡製鉄と富士製鉄が合併して日本一の高炉メーカー新日本製鉄が誕生した。
ところが、1980年代半ば以降、急速な円高によって海外勢に追い上げられ、更に国内でもスクラップを電気融解して鉄を再生産する電炉メーカーの台頭によって高炉の製鉄会社は苦境に陥り、北九州の町全体に停滞感が漂っていた。海老原自身も父から受け継いだ主要な顧問先の何件かが廃業し、念願の自社ビル建設も叶わぬ夢となりそうだった。
「3ヶ月決算だと年400万の顧問料か。いざとなったら、何も知らんちゅうことでいいか。実際何も聞いとらんが。」
「当たり前だ。今でも俺とこうやって会ってくれる同窓のお前を困らせるつもりはない。」
丸田は「ところで俺の独り言だが」と前置きして、取引の概略を説明した。
海老原は仰天した。
「それは大胆すぎる。仕入を調査されたら分かってしまうぞ。発覚したら俺もヤバイ。」
「申告の時の100万とは別に、還付金受領の都度現金で300万払う。年額合計で1600万だ。そして何かあってもお前は何も知らん。税務署から連絡があったら、売上と販売伝票を照合したら正しかったとだけ言ってくれ。元調査官のお前がそう言えば通るはずだ。」
「お前、国税の怖さを知っとるか。いつ何時情報が洩れて強制捜査があるか分からんぞ。」
「期間はせいぜい3年だ。その後は速やかに会社を解散する。その間うまく対応してくれればいい。」
「お前が主役なのか。」
「違う。資金も取引網も俺じゃない。」
「いざとなったら、お前がその連中から切られて責任を負わされるんじゃないのか。」
「その心配はない。俺と一連托生の仲間だ。」
「仲間は誰だ?」
「喋っても構わないが、知らない方が良いんじゃないのか。」
「・・・」
海老原は、拒絶できなかった。
その翌月1億円の還付金が入った。
龍雄達は祝杯をあげた。
岩佐が言った。
「こげな商売いつまでできるかのう。」
丸田が、
「税務署は海老原に任せておけば大丈夫です。出国リストに基づいた免税売上の伝票だけは手を抜かんで作っておく必要がありますけど。」
と言うと、龍雄も、
「海保や麻取の方が怖いかも知れん。みんな分担を守って手堅くやろう。丸ちゃんの話じゃ三年位はやれそうだ。」
と言った。
岩佐も言った。
「そうやの。妙な奴らが周りにいないか気を付けてしっかりやろう。」
その夜の宴会は長く続いた。
解説
丸田は、大学の同窓生だった元国税局職員の海老原税理士を説得し、不正還付を狙った消費税の申告書に、税理士がその内容が正しいと証明した書面を付けてもらうことに成功します。
龍雄達3人は、金の密輸出を開始し、その3か月分の売上を免税店で販売したとする申告書を提出して1億円の還付金を手にします。
・・・To be continued・・・