福岡物語-15【福岡の串焼き】
福岡物語(居場所を求めて)-15
岩佐の父親は、釜山から南西に一五〇キロ離れた美港の誉れ高い麗水の出身だった。
済州島四三事件を鎮圧するために麗水に出動した李承晩政権の一隊が反旗を翻したことから、政府軍による厳しい追及が行われ、反乱軍のシンパと見做された多数の民間人が殺害される最中、住み慣れた故郷を後に日本に逃亡し、筑豊に住み着いた。
筑豊には炭坑労働の需要があった。
引揚者や朝鮮半島からの避難者など各地から様々な人間が筑豊に集まり、たとえ在日だろうが働いただけの金は手にすることが出来た。
しかし労働は命がけだった。落盤、火災、爆発のほか、一酸化炭素による中毒事故も頻発した。労働者は毎日その危険と隣り合わせの過酷な仕事を終えると、粉塵で汚れた体を洗い、まるで機械に油を刺すかのように必ず焼酎をあおった。
やがて同胞の女性と家庭を持ったが、一家の生活は一九六〇年代の終わりになると苦しくなった。炭坑で稼げなくなったからだ。産業エネルギーが石炭から石油に代わる移行期だった。数ある筑豊の炭坑が次々と廃坑となり、一九七〇年代にはその全てが廃坑となった。
肉体を酷使するだけだった父親はもはや他の仕事が出来ず、やむなく夫婦はキムチやマッコリを作って売ったが、大した稼ぎにはならなかった。そんな中で岩佐が生まれた。幼少の頃、親が作ったマッコリを間違えて飲んで具合が悪くなり、大騒ぎになったこともあった。
小学生になると、鉄くず拾いを覚えた。鉄くず拾いと言えば体裁が良いが、実際は、学校の行き帰りに工事現場や建築中の家に目を付けておき、タイミングを見計らって良い金になる銅線や真鍮をかすめ取り、くず屋に持ち込んだ。
貧乏で苦労する親を見て育った岩佐は、抜け目のない少年になったが、その一方で、筑豊特有のさっぱりした気質も備えていた。筑豊・遠賀川の流域では、喧嘩っ早く竹を割ったような男を川筋モンと称する。
その川筋で育った岩佐は、負けず嫌いで向こう気が強く喧嘩も強かったが、友達思いで仲間内ではいつも屈託のないさっぱりした顔をしていた。
高校生になると、地域の不良の頭となり、仲間を引き連れて小倉や八幡の街を闊歩した。自ら暴力をふるうことは少なかったが、仲間がやられたときは容赦しなかった。
高校を出た後小倉の風俗店で働いた。待遇は悪くなかったが五年程勤めたところで、親しくなった店の女からピンハネされていると相談された。
「お給料から税金が二割以上天引きされとるんやけど、税務署に払うのは一割だけだって。」
「本当か。」
「経理のおばちゃんが教えてくれた。水増し分は社長がピンハネしとるらしい。」
「そりゃとんでもないな。」
「うちらみたいな弱いもんからピンハネせんでも良いと思わん?」
岩佐は、女の肩を持って経営者に言い寄った。
「税金分とか言って天引きした金を、全部払わんでピンハネしとろうが。」
「誰から聞いたか知らんが、くだらんことで目くじら立てるな。色々工夫せんとやっていけんのじゃ。」
「嘘はいかんじゃろう。取った金は返してやれよ。」
「こういう商売じゃこんなことは当たり前だ。領収証を取れん出費もあるんじゃ。」
「そんな金は儲けから出せば良かろうが。女を苛めるな。」
「従業員のお前が何を言うか。つべこべ言うと首にするぞ。」
「お前のような嘘つきの下で仕事なんぞ出来るか。」
女と一緒に首になった岩佐は、その女のアパートに転がり込んだ。
長続きする仕事がなく、一時は女のひものようになった。
やがて女と別れて窮すると、岩佐の度胸を見込んだ知り合いのヤクザから何度も声をかけられた。
「うちに来いよ。」
「嫌じゃ。」
「金には困らんぞ。」
「弱い奴らを苛める側にはなりとうない。構わんでくれ。」
(風俗もヤクザも好かん。かといってろくに仕事もない。どうしたら良いんじゃ。)
いよいよ窮し、昔の仲間を誘って深夜工場の倉庫に忍び込んだ。
高値で売れる銅線を大量に盗んだが、やがて足が付いた。
捜査の手が及びそうになった際、一人で自首した。
「仲間を言え。一人で盗れる量じゃない。」
そう刑事に聞かれたが、
「俺が一人でやった。何遍も工場に行き来して運んだんじゃ。」
と答え、自分の犯行だと言い張った。
「通らん嘘はつくな。きちんと喋らんと心証悪うなるぞ。」
「嘘はついとらん。」
「初犯だと思って甘く見るな。白状せんと実刑だぞ。」
厳しく追及されたが、知らぬ存ぜぬを通した。
(大した取り得もない俺が出来るのは仲間を守るぐらいじゃ。警察に売ってたまるか。)
結局、懲役一年一〇月の実刑となった。
龍雄と岩佐は、出所後の生活について話し合うようになった。
「薬は今度捕まったら長期をくらうし、金のブローカーもたかがしれとる。」
そう龍雄が言うと、岩佐は、
「風俗もヤクザがデバってくる。しのぎ賃を払って商売しても儲からん。」
とぼやいた。
数日後、運動場の隅で、岩佐が大人しそうな男を龍雄に引き合わせた。
丸田だった。
「こいつは忠彦といって俺の従弟や。俺の身内にしては珍しく大学まで出て市役所に勤めとったが、競艇にはまって金を使い込んだのが表沙汰になってな、女房に逃げられたあげく半年前ここに来たんじゃ。」
丸田が小さく頭を下げた。
「こいつに、あんたのことを話した。俺と一緒に聞いてもらいたい話があるそうだ。」
「高山です。」
龍雄がそう挨拶すると、丸田は、
「真ちゃんから、高山さんは性根の座った人だと聞いとります。気乗りせんかったら、忘れてください。」
と言った。
龍雄は頷いた。
「今日本で買った金を買値そのままの値段やったら、韓国で売れますよね。」
「まあ買値やったら、捌けるな。」
「この取引をして、五パーセント儲けることができます。」
「取引では儲けなしですが、必ず、買値の五パーセントが儲けになるということです。」
龍雄は目を見張った。
「どうゆうことだ。」
「買値に含まれている消費税を国から貰います。」
丸田は市役所で税務課勤務の経験が長かった。
「売上先が免税の相手やったら、買値に含まれている消費税は返してもらえます。」
龍雄が、「密貿易でもできるのか。」
と聞くと、丸田は表情を変えずに、
「勿論駄目ですが、免税店で売ったことにすればいいんです。資金量にもよりますが、一億の取引を月五回やったとしたら、五億円の五パーセントの二五〇〇万、一年で三億円手に入ります。」
と答えた。
丸田が小声で、
「龍雄さんは、釜山のルートを持ってると聞きましたが。」
と尋ねた。
龍雄が小さく頷き、
「税務署にばれたらどうするんだ。」
と聞いた。
「手はあります。ヤバイのは、せいぜいマルサ位です。」
「マルサってなんだ。」
「捜査権を持った国税の査察っていう部隊です。言ってみれば麻取のようなものです。」
「マトリは拳銃持ってるが、マルサも持っとるんか?」
「拳銃は持ってません。そのかわり捜査令状を使って強制調査をします。邪魔が入りそうな時は警察や検察も同行させます。」
「そのマルサがどうヤバイんだ。」
「最悪だと有金全部取られて、またここに戻ることになります。」
「それはつまらん。止したほうがいいんやないか。」
「やってみる価値はあると思ってます。」
「忠彦、できもせん漫画みたいな話をこの人に聞かすために引き合わせたわけやないぜ。」
丸田にたたみ掛けようとする岩佐を、龍雄は小さい声で遮った。
「丸田さん、悪い話と良い話と両方きちんと説明してもらえますか。」
「悪い話から先にしますと、一見合法的に国から税金を貰うようにするわけですが、令状を持ったマルサが突然やってきて捜査をした結果、免税店で販売していなくて裏で売っていたことがばれると、国から取ったお金全部と罰金が課され、更に懲役刑も食らいます。私たちは、前科があるので、執行猶予はまず付かんでしょう。」
反対の話ですが、
「最初の段取りさえうまくいけば必ず還付金は手に入ります。その金を隠してしまえば良いのです。龍雄さんがその気になれば、自分の持ち金を役人はおろか誰にも分らんように出来るでしょうが。」
「・・・」
「儲かるのは確実です。マルサが来ても金を隠し通せれば良いのです。」
「金は手にできるとして、ここにぶち込まれるっちゅう件はどうなんだ。」
「それは、今度お話しします。」
丸田は用心深くあたりを見回して、話を打ち切った。
「分かった。」
運動場の片隅とはいえ、長々と話をするわけにはいかない。
解説
今回は、龍雄の犯行仲間となる岩佐の生立ちを書いています。
その岩佐は、自分の従妹である丸田を龍雄に引き合わせます。
市役所の税務課に勤務した経験のある丸田は龍雄達に驚くべきプランを持ちかけます。
(注1)この物語はまだ消費税が5%だった時期を背景に描いています。
(注2)当時は日韓の金の取引も現在とは違い日本から韓国に闇で金を持ち込むと利鞘を稼げる時代でした。
・・・To be continued・・・