福岡物語

福岡物語-12

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福岡物語-12【九州国立博物館

福岡物語(居場所を求めて)-12

その頃ハルラに税務署の調査が入った。
申告を任せていた同胞の人間が立会に来たが、調査官から資格がないと言われて立会を拒否された。

現金を監査されると困ったことが起きた。
帳簿の現金の残高より監査した金額が多かったからだ。
最初は温厚そうに見えた調査官の口調が厳しくなった。

「売上を抜いとろうが。どこに隠しとるんだ。」
鶴来は答えた。
「うちらは、このホルモン屋の商売で家族四人なんとか生活しとります。帳簿と現金の残高が合わないのは、毎日忙しくて帳簿の付け忘れがあったからだと思います。」

「言い訳聞いとるんやない。抜いた金どこに隠しとるんか聞いとるんじゃ。」
「隠してません。」
「そうは言っても、それなりに溜めた金はあるはずだ。」

鶴来は窮した。来日してから今までコツコツと溜めた金はあったが、それは何のバックボーンもない鶴来達のまさに命をつなぐ資金だった。

「日本で稼いだ分を、祖国に送っとりゃせんか。」
母や親族の行方が分かれば、わずかな金でも送金したいのは山々だったが、混乱の済州島に送金など出来るはずはなかった。

「済州島には行きたくてもいけません。金など送れません。」
そう答えたら涙が出てきた。

調査官は言った。
「高山さん、あんた方がこれまで相当な苦労をしたことは俺も分かる。しかしここは日本だ。あんた方は日本で商売する限り、我々の質問にはきちんと答えてくれんといかん。」

そう言われた鶴来は、やむを得ず、持ち金を見せた。
「日本に来てから長い間、命がけで溜めた金です。」

鶴来はそう言ったが、調査官は色々と計算をした挙句、こう言った。
「その半分以上の金が収入から抜け落ちとったという計算になる。」

「えっ、ここ何年かにそんなに稼げるわけがありません。」
「高山さん、あんたが生活費やら何やらで使った金も店の儲けから出とる。それも含めて計算せんといかんのじゃ。」

「・・・税金はいくらになるんですか。」
調査官は、持ち金の大半を税金として徴収すると告げた。

「そんなに取られたら、わしらはやっていけん。」
鶴来はそう言い、梨花も身を震わせながら、
「このお金は、昔から死ぬような思いで少しずつ溜めた金じゃ。ハルラだけの儲けやない。」
と言ったが通じなかった。

調査官は、
「確かに時効分もあるだろうが、加算税や延滞税を計算するとこの金額になる。」
と言って譲らず、結局修正申告と納税を余儀なくされた。

税務署が在日朝鮮人に厳しく接した事情もあった。
終戦後、密造酒の取締の責任者だった税務署の職員が在日朝鮮人に殺害される事件が起こった。

終戦直後の日本では、米不足のため正規の酒の生産量が落ち込んでいたが、その間隙を縫って「カストリ」と呼ばれる密造酒が横行し、その生産量は正規の酒の生産量をはるかに上回っていた。

従来密造酒と言えば、農家が精々自家用として造る「どぶろく」が主だったが、「カストリ」は販売を目的とした大掛かりな密造で、在日朝鮮人集落が密造の拠点とされ、これらを取り締まる側の税務署に多数で押し掛け、取締りを行わないよう公然と要求する場合もあった。

事件の発端となった川崎市の集落においても密造が行われていたが、当時多発していた在日朝鮮人による集団行動の対処に苦慮し、さらには彼らの行動が共産革命の導火線になるのではと懸念した連合国総司令部の指令により税務当局は一斉捜査を実施することになった。

1947年6月23日税務当局は、警察官や占領軍憲兵の応援を得て多数の職員を動員し、一斉取締りを敢行して100名以上を検挙し、密造酒や原料等を押収した。当日現場の責任者として陣頭指揮を執った川崎税務署の端山課長は、帰署後自席で取締りの事務処理を行い、午後9時頃帰途に就いた。

京浜川崎駅に到着しようとした時、数名の暴漢が課長を取り囲んだ。
「税務署員か。」
「そうだ。」
そう答えた課長に対し殴る蹴るの暴行が加えられ、病院に収容されたが3日後に亡くなった。

この事件を受けて内閣は閣議上程し、当該事件は単なる密造事件に留まるものではなく、政府の経済緊急対策の成否にかかる重大問題として扱うべきであるとした。その後、端山課長の命日に合わせて、大蔵大臣が碑表を記した「殉職税務官吏故端山豊蔵之碑」が建立された。

戦後の荒廃から立ち直ろうと必死の日本と、不自由な境遇の中でなんとか生きて行こうとした在日の住民とのとの折り合いが見いだせない不幸な時代だった。端山課長が殉職してからも長い間、在日住民と徴税機関との緊張関係は継続し、調査官としても安易な妥協をするわけにはいかなかった。

礼子が学校から帰ると、梨花が激しく泣いていた。
鶴来もめったに見せたことのない涙を流していた。

「お前達のために必死で溜めたお金を取られた。」
と母が言った。
「これからは、うちも早く帰って手伝うから元気だしぃよ。」

礼子がそう言うと、鶴来は、
「今度ばかりは疲れた。乱暴な客には負けんが税務署は苦手だ。」
と弱音を吐いた。

まもなく礼子は弓道部を辞め、授業が終わると父母を手伝うようになった。
独学で簿記を勉強し、店の帳簿を付けた。

店の収支が分かるようになると、礼子は思った。
(なんでこんなに取られたんや。うちらが在日やからか。)
売上と仕入と家賃や経費をきちんと計算すれば、それほどの金額になるとは思えなかった。

母親に聞いてみた。
「生活費を店の儲けから取っとるんやろうとか、加算税やら延滞税がかかるとか言っとった。」

確かに、申告内容が悪質だと認定されて重加算税や延滞税を遡及可能な七年間に渡って賦課されると、国税に連動して発生する地方税でも同様の加算税が課されることから、膨大な税額になってしまう。

しかし礼子はそれでも酷だと思った。
(ちゃんと経理しとらんで、きちんと説明できんかったこっちも悪いが、親が日本に来てから溜めたお金を丸ごと持っていかんでもいいだろうに。)
(経費で認めてくれてもいい支払いも随分あったはずなのに、どうせ在日の稼いだ金やと思って、そんな配慮してくれんかった。)
(お父ちゃん達は、苦しい中ひたすら我慢して一生懸命やってきたんや。税務署は厳しすぎる。)
しかし、すでに調査が終わって、親たちは調査官の指摘のまま修正申告をしており、どうなるものでもなかった。

龍雄は礼子と好対照だった。
無邪気な小学生でも、誰か一人が「朝鮮」と言いだすと、皆で一緒になって囃し立てる。

黙っていると一層図に乗るので、龍雄はいつも騒いでいる中の一番強そうな子に立ち向かった。小学生の頃の龍雄は、モヤシのように痩せており、立ち向かう相手とは大抵分が悪かった。

しかし、どんなにやられても龍雄は諦めなかった。
嘲笑される度に必ず向かって行き、時には顔に痣を作って家に帰った。

学校の先生も、喧嘩を繰り返す龍雄の気持ちを理解することなどなく、家庭訪問の際は、周囲と仲良く出来ない乱暴な子だと言って梨花を恐縮させた。

両親は忙しく、姉だけが優しかった。
小学校の高学年から、近所でボクシングを習い出した。

ほっそりした龍雄の体は、次第に筋肉質のしまった体つきに変貌していった。
強くなった龍雄に手向かう少年はなくなり、そのうち近隣の不良達の頭になった。

仕事で忙しい父母のかわりに、龍雄を諭したのは礼子だった。
「今更喧嘩するなとは言わんけど、自分から手を出したらいかんよ。」
「俺からは手を出さん。だが馬鹿にする奴は絶対許さん。」

「お前の気持ちは分かるけど、強いからって人を苛める人間になったらいけんよ。お父ちゃんやお母ちゃんの一番嫌うことや。」「俺は弱い者いじめやらせん。」

「龍雄、お前じゃなくてもお前の周囲の子たちがやったら同じなんよ。」
「姉ちゃん、分かっとる。」

朝食は家族一緒だったが、その後は両親が店にかかりきりなので夕食は大抵姉と二人だった。
龍雄は礼子の作る卵焼きが好物だった。

「これさえあったら、後はなんもいらんわい。」
龍雄がそう言うと、礼子は
「お前は、卵焼き食べる時だけは優しい顔しとる。外に出とるときもそういう顔したら良いのに。」
と言って笑った。

時々、母方の従弟の雄一が夕食に加わった。
父親が漁師で、時には両親揃って夜の漁に出たからだ。

雄一は、体格は良かったが見掛倒しでよく苛められていた。
いつも龍雄が庇い、時々夕食に誘った。

礼子も、
「雄ちゃん、龍雄みたいに喧嘩ばっかりしたらいけんよ。」
と優しく声をかけた。

龍雄は、姉と雄一を前にして一人前の男のように、
「世間で甘い顔したら回りが付けあがるんじゃ。雄一もなめられたらいかんぞ。」
と仏頂面をしてみせた。

高校に入ると、不良仲間と対岸の北九州に遊びに行くようになった。
小倉は、関門海峡を臨む地域で一番の繁華街であり、活気と刺激のある街だった。

小倉の銀天街で、仲間の一人が地元の少年と些細な口論から喧嘩になり、互いに加勢しようと集まって剣呑な状況になったことがあった。

「お前ら、どけどけ」と言って割って出てきた大柄の男がいた。
頑丈そうな体つきをしたその男は、
「お前らの中で一番強い奴は誰だ。」
と言って龍雄達を睨んだ。

「こんな街中で、みんなで喧嘩したら大事やろ。お前らの頭と俺の二人で決着を付ければ十分じゃ。」
龍雄が黙っていると、相手は、
「そこの背の高いお前か。」
と龍雄に言った。

喧嘩慣れした精悍な風貌をしていた。
「やるのか。」
龍雄はそう言って相手を睨んだ。

相手は平然と龍雄の視線を見返し、暫くそのまま対峙していたが、突然笑い出した。
「お前とはやらん。」
「どういうつもりだ。」
「お前は粋がっとらん。不良の割には眼が澄んどる。」

不思議な男だった。
「おい帰るぞ。こいつは強そうじゃ。俺らの負けで良い。」
男がそういうと、まだ龍雄達を睨んでいる者もいたが、不穏な雰囲気は薄らいだ。

正直、龍雄はほっとした。
人数は相手の方が多く、自分達の地元でもない。
手ごわそうなこの男とやりあっているうちに、きっと仲間はやられるだろうと覚悟していた。

「岩ちゃんがそう言うなら、やめとこ。お前ら命拾いしたな。」
一人がそう言って踵を返した。
龍雄は黙ったままだった。

別れ際、岩ちゃんと呼ばれた男が龍雄に言った。
「おい、朝鮮!」
頭に血がのぼるのが分かった。
この言い方をされて、引き下がったことは一度もない。

「凄い目になったな。やっぱり本当に強そうじゃ。」
男は、妙に明るい感じでそう言うと、
「俺も朝鮮や。」
そう言って立ち去った。

変わった奴だと思った。

解説
捜査班と対峙することになる龍雄と礼子について書いています。二人が大人になる前の頃についてです。
・・・To be continued・・・

 

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