福岡物語-50【城山霊園(北九州市門司区)】
福岡物語(居場所を求めて)-50
二人の墓参を、浅黒い顔をした痩身の男がずっと見つめていた。
あの夜、暗闇に身を投じた龍雄は、やがて意識も絶えて深淵に導かれるはずだった。
飛び込んで直ぐ、龍雄の周りを、巨大な生き物が取り囲んだ。
(サメだ!)
自ら死に臨んだ龍雄だったが本能的な恐怖を感じた。
しかし、その群れは次々と龍雄に寄り添い、あるいは下から柔らかく押し上げ、海に沈ませなかった。
船に沿って泳いでいた沖イルカだった。
生存本能が湧き起った。
その群れに支えられた龍雄は、やがて流れて来た流木を掴み、翌朝運良く韓国の運搬船に拾われた。
肺に水が溜まり脱水症状も起こしていたが、やがて回復し、そのままその船の人間になった。
イルカが人間を救った話は、古くはギリシャ神話にある。
音楽大会に参加して賞金を得た歌人が、金を狙う船員から殺されそうになり、末期の願いを訴えて琴を奏で海に飛び込んだところ、琴に聴き入ったイルカが歌人を故郷まで連れ帰ったという話である。
実際、転覆した船の乗組員をイルカが助けて陸まで誘導したり、サメに襲われている遊泳者をイルカが守ったりした事例は少なくない。
ほとんど会話も出来ず黙々と仕事をするだけだったが、そんな龍雄を周囲は疎むことなく、むしろ大事にした。
姉が死に自身も死に損なった虚しさとともに、龍雄はそこで働くしかなかった。
月日が経ち、色白だった顔は浅黒く精悍な風貌に変わった。
下関で停泊中に、港湾施設で働いている雄一を見かけた。
思わず声をかけた。
当初、雄一は気づかなかったが、やがて龍雄だと知ると号泣した。
「俺は、お前達を見捨てた男や。」
「そんなこと言わんで、下関に帰って来てくれ。」
「恩義ある人様の下で働いとるけん、我儘はきかん。」
波止場の酒場で飲みながら、友紀や庸一らの近況を聞いた。
雄一の話は要を得なかったが、父娘はそのまま門司に住んでおり、姉の墓も門司の霊園にあるとのことだった。
岩佐や丸田のことは何も分からなかった。雇い主に、しばらく日本に居させてくれと頼んだところ快く了解してくれた。
姉の墓とおぼしき場所に行くと、姿も顔立ちも姉にそっくりの若い女性がいた。
友紀だった。連れがいた。
「あ奴は、・・・確か黒木だ。これはいったいどういうことじゃ。」
思わず引き返したが、その足で、庸一の家に行ってみた。
勇を鼓して、呼び鈴を鳴らすと庸一が出てきた。
庸一は、すぐには龍雄だと分からない様子だった。
まじまじと龍雄の顔を見つめた後、
「お前は俺の弟だ。今まで何をしていたのか知らんが、もうどこにも行くな。」
と言った。かつての穏やかな庸一とは全く違う物言いだった。
庸一から話を聞いた。
<丸田は三年、岩佐は九年の懲役刑を受け、岩佐はいまだに熊本刑務所で服役中であること。>
<黒木が裁判で岩佐を怒鳴りつけたのが新聞沙汰になり、その責任を取って上司の多田隈が辞めたこと。>
<友紀は大学を出て国税局に入り、黒木の下で働いていること。>
玄関から「ただいま」と明るい声がした。
帰宅した友紀と龍雄の眼が合った。
瞬時に友紀が叫んでいた。
「龍叔父。」
龍雄は驚いた。
(八年も会わず、様変わりした俺がすぐ分かった。)
「今まで何しとったん。」
即答できずにいると、
「もうどこにも行ったらいかんよ。」
庸一と同じことを言った。
姉の面影そのままの友紀は、目頭を押さえながら台所に行き、手早く包丁をたたき、刻んだ博多葱を載せた豆腐とビールを持ってきた。
「ビックリした。血圧が二〇〇超えとるかもしれん。」
そう言った友紀に、龍雄はやっと「姉ちゃんそっくりじゃ。」と言った。
「お母ちゃんに似とらんとこがあるんよ。」
「なんじゃ。」
「うち、飲むんよ。学生時代は九州中歩いて酒や焼酎飲み比べしよった。」
「俺と礼子から生まれた娘とは思えん。」
庸一は、そう言って苦笑いした。
「今晩は夜通し飲みましょう。龍叔父は明日中寝てれば良い。私は飲んだあと気持ちよく仕事に行くわ。興奮してとても寝むれそうもないし。」
友紀が言ったとおり、親娘と龍雄は夜半まで過ごし、庸一がつぶれた後は二人で明け方まで飲んだ。
友紀は、出がけに言った。
「黙って出て行ったら、・・絶対許さんよ。」
友紀は黒木に昨日来の出来事を話し、龍雄について相談した。
「よう生きとったな。俺も会ってみたいが、しばらくそっとしておこう。」
「叔父さんは、うちらが母さんの墓参りに行ったのを見とったって。」
「それは驚いたろうな。」
「何が何だか分からんようになって、思わず家を訪ねたって。」
「何にしても生きとってよかった。これから少々手順を踏まんといかんよって、お前も手伝え。」
刑事事件の時効は消滅していたが、かつての脱税の主犯者を黙って放置するわけにはいかなかった。
黒木は友紀を連れて検察庁に赴き、龍雄が韓国船に救助されて以降の状況を説明した。
更に家庭裁判所とも相談した結果、庸一と友紀が、龍雄の後見人として生活を見ていくということになった。
一方、丸田は海老原とともに、かつての海老原の事務所で働いていた。
ただし事務所の主は多田隈だった。
税理士資格を剥奪され、顧客や後輩達の信頼を失った海老原は、自ら事務所を経営することは出来なかった。懲役に服する際、海老原は多田隈に事務所の運営を懇願し、併せて自分と丸田の後見人となってくれるよう依頼した。辞めてなお、かつての部下から慕われ、税務に精通した多田隈は、事務所の経営者としても後見人としても適任だった。
更に、丸田からの願いで、まもなく出所する岩佐の後見も引き受けることにした。
多田隈は丸田とともに、熊本刑務所に岩佐を迎えにいった。
「お手数をかけます。」
「何はともあれ、長い間ご苦労さんやったな。」
「忠彦ばかりか、俺まで世話になって申し訳ない。」
「とりあえず温泉にでも行かんか。」
解説
ギリシア神話で竪琴の名手アリオンを危難から救ったイルカは、その功績により星座の一角を担うようになりました。イルカ座はわし座のアルタイルの北東に見られる小さな星座で、四個の星が菱型を作っているのが目印です。
・・・To be continued・・・